2013/02/23

都市と記号

 
"Because I know that time is always time
And place is always and only place
And what is actual is actual only for one time
And only for one place"
—T. S. Eliot, Ash Wednesday (1930)


熱いインドで毎日インドカレーを食べる(当たり前)生活から、外にジュースを出しておくとシャーベットが作れることで有名なベルリンに戻った。もう6日後にはロンドンに居る予定なんだけど。
昨日は僕が尊敬するアーティストの中原一樹くんと一緒に土管を買いに行ったり、美術館のオープニングに行ったり、ケバブを食ったりと、晩冬のベルリンはそれはそれでせわしないんだけれど、今朝は久々に最近のことを少し振り返ってみたりしていた。たぶんそれが少しだけ必要だったから。

まあ、この数年は移動ばかりではあったが、特にここ最近は移動が続いたので。この一ヶ月ちょっとだけでも、乗り継ぎ合わせて合計15回ほど飛行機に乗っていた。なんだかなあ。でも、いわゆるアチコチ旅をしているという感じがしないのは、ひとつは帰り道っていうのが何なのか実は全然分からなくて、文字通り次にやることに向かっていく道でしかないのと、あとはずっと何かしら絵を描いていたからだと思う。どこでも、描きまくっていた。パリで深夜に鴨を焼きながら早朝の空港に向かう直前まで絵を描いていたり、金沢21世紀美術館の10時間ライブでは360mぶんの絵を描いて全部廃棄したり、東京のバーで描いたり、インドの2週間でロール紙40本描いて最後の朝に全部燃やしたり。もちろんベルリンでも、一人で描いたり、誰かとセッションしたり。

アトリエ内よりも外で、また、地面で描くことが多かった。フィールド・レコーディングのように、フィールド・ドローイングをしていたという感じで、何かずっと、移り変わって行くその場や時間そのものを記録しようとしていた気もする。記録というより、"記述"と言った方が近いかもしれないが。こういう記録/記述はたまに様々な形で残ったり、基本的には残らなかったりするけれど、僕自身や見てくれた人の体内の記憶に、文字になる前の文字、カタチになる前のカタチとして刻まれていたらそれでいい。

なんというか、世間的には、絵を描く人はアトリエ内に籠って描く、というイメージがあると思うけど、僕は元々どちらかと言うとアウトドア派というか、ずっと内と外との境界や、行ったり来たりの動きそのものを作品にしてきた気がする。何かを描くためにはもちろん場所と時間が必要だけれども、描くことによってはじめて生まれてくる場や時間というものがあるので。同じ場所に戻ってきた時には違う時間が流れているし、同じ時間には別の場所で何かが起こっている。"今ここ"に関わるということは、違う場所や時間のことを想像するのと同じことだったりする。

僕にとっては"描くこと"が単にアウトプットではなくて、外部の環境を翻訳して内面へインプットする行為でもあり、内からの表現(expression)が、同時に外からの感覚の刻印(impression)であるということを、よく思う。僕は、引き出しの底が抜けている。内と外の円環構造が成立しているときにだけ、ああ描いているなあ、と思える。そうじゃなかったらきっとアウトプットすべき内面の源が尽きて、自分の描く線に酔ってみたりとか、似たようなスタイルを繰り返したり、何か新しい引き出しを探しちゃったりするんじゃないかな。そうなってしまったら、それは僕の作品ではない。

正直いま"表したいアイディア"みたいなものは特にないし、移動するからと言ってどこか最終的な目的地に向かっているわけじゃない。もっと遠くに架空の星座を作るように、架空の言語でラップをするように、何かと何かの間に線を引いたり点を打って、新しい回路を作っていきたいだけなのだ。だから、あまり好きじゃないけど、フィジカルな旅をせざるを得ないんだろう。現場を移動することは、精神の地図上に軌跡を残す、つまりドローイングすることそのものでもある。移動すればするほど、回路が交差する密度が少しずつ上がっていく。そうして全く別の場所や時間からつながる回路が交差したポイントに、音楽のように、一定時間だけ、特別な場所のようなものが生まれる。

たまに一つひとつの記憶の回路を辿ってみると、細部ばかりがくっきりと、闇の中で明滅する交通標識のように次々と浮かんでは消えるばかりで、いつも最終的な全体像が見えないし、見ないようにしている。

ここ最近描いた何百枚という絵の細部はけっこう体で覚えていて、別の絵を描いているときにふと蘇ってきたりもする。でも絵自体のことだけじゃなくて、例えばジャングルでシャンディという16歳の少年が木に登って取ってきてくれたオレンジの花の蜜の味とか、吹雪の美術館の中庭で植野隆司さんが弾いていたギターの妙に金属的な音、一緒に服を作ったコムデギャルソンのショーのあとに話しかけてくれた川久保玲さんの黒い目や、ホコリ舞う狭い部屋で一緒に寝泊まりしていた遠藤一郎くんの荷物の配置なんかの断片がランダムに、後頭部あたりにあるチューブ型のスクリーンに投影されて、0.5秒くらいで次の像にモーフィングしていくような感じだ。

最近は、そうしてこれまで作ってきたたくさんの回路が、地中のアリの巣の断面図ように、あるいは地下鉄マップのように、複雑に交差して、どこかにあるようでどこにもない空想都市の交通網のようなものが段々とカタチづくられているような気もする。
背景にはここ数年ずっと脳内に鳴り響いていたアーサー・ラッセルの音が消えて、なぜかもっと昔に好きで聞いていたAphex Twinの音楽が小さく鳴っている。何か、それがこの空想都市の街頭スピーカーから流れる原始的な民族音楽のように聞こえ始めている。これまでとは別の次元で、統合が始まっているのかもしれない。

そういえば先月パリでアニエスベーに会って、40枚の絵を渡したときにこんなことを言われた。
「8年前に初めてあなたの絵を見たときは、全くカタチになってなかった。」って。
「でも去年NYのスタジオで見たとき、あなたの絵がギリギリのところまでカタチに近づいてるように感じた。まるで偶然、道で拾った立体物みたいに。でもあなたはその手前で留まって、決してカタチそのものにはしないのよね。」って言ってた。

イタロ・カルヴィーノの小説 ”見えない都市”の中で、世界を旅したマルコ・ポーロが、皇帝であるフビライ汗に、ジルマという実在しない都市について報告する一説が、僕の頭に浮かんだ。

 「記憶はまこと満ちあふれんばかりでございます。都市が存在し始めるようにと、記憶が記号を繰り返しているからでございます。」


川久保玲さんとの3度目のコラボレーション(パリ)
collaboration with Rei Kawakubo, COMME des GARÇONS SHIRT A/W 2013, Paris
回転するチューブ(東京)
the spinning tube at night, Tokyo

フイの家の壁 (トーレスヴェドラス)
improvisation on the wall at Rui's house, Torres Vedras
ライブドローイング(ダハヌ)
live drawing, Dahanu

2013/01/02

今日

circuit #01 / 2012 / silver ink on paper / photo : Keizo Kioku  © Hiraku Suzuki


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一人で紙に絵を描いていて思ったことなんだけど。最初から最後までルールが決まっていたらそれはただのゲーム。乗るか降りるか、勝ってハッピー負けてガッカリとか。どちらにしろ、前提のある直線的な動きは長く続かないんだよなあ。

時々ゲームをやるのは、たのしい。ルールがなかったら、しらける。でも僕がまっさらな紙の上でやっているのは、作りながら、動きながら、自ずと発生してくるルールの方をよく見ていくということなんだと思う。目の前のことを一つひとつ、点を打つように、楽譜を書くようにやっていく。そうすると点描画の点と点の間にうっすら線が見えてくるように、あるルールみたいなものが自然現象のように生まれてくる。
それは、変化もする。ある時は将棋をやっているつもりが実は格闘技だったり、短距離走のつもりがヒッチハイク世界横断の旅になっていたりする。大切なのは、その瞬間に存在しているルールのギリギリ周縁をナゾって動くことだ。 持続音(ドローン)で知られる音楽家のラ・モンテ・ヤングが「一本の線をひいて、それをナゾれ」と言っていたが、そうしていれば自然と時間の層がグルーヴしてリズムが発生し、ルールのカタチが変化していくのがわかる。カットアップが起こって突然三角形のようにシンプルになったり、フラクタル図形のように複雑になったりもする。それでも立体的に見れば、根本的な中心軸は変わらないし、終わらない。むしろそういう根本的なところ、細分化して高度化したゲームの前にあるところ、に向かっていくための、強靭な線になっていく。

そうやって点を打って進んでいくうちに、瞬間に反応するだけではなくて、ずっと続いている長い時間に対応した動きというか、なんつうか巨大なアンモナイトの上でスケートをするようなこと、実感のある祈りのようなこと、に変わって行ったらいいと思う。

tower of meaning / 2012 / spray paint on found objects / photo : Keizo Kioku  © Hiraku Suzuki


road sign-spiral / 2008 / pieces of asphalt / photo : Ooki Jingu  © Hiraku Suzuki

2013/01/01

謹賀新年

明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

2013年1月1日
Wedding, Berlin

2012/07/10

鋳造と投げ釣り

casting #108 / 2012 / spray paint on printed paper © Hiraku Suzuki

- 小金沢健人さんとの二人展 "Panta Rhei"に寄せて


ちょうど一年前、ロンドンで初めて鋳造による制作をしたとき、僕はこの「鋳造 (casting)」という語が、同時に「投げ釣り」や「投影」を意味するということがとても面白いな、と思った。

ロンドンの鋳造所では、最も原始的な鋳造法のひとつである砂型鋳造 (sand casting)という方法で、"光の象形文字 (Glyphs of the Light)"というタイトルの、架空のロゼッタストーンのような彫刻作品を作った。まずは石膏でまっさらな石盤をたくさん作り、その表面には、ヒエログリフの代わりに、風で揺れている木漏れ日のカタチの残像からとったドローイングを彫り入れた。それを今度は粒子の細かい砂に埋めて打ち固め、パカッと外してネガとポジの反転された型を作る。(この時点で石膏はもういらないので、割って砕いて、再利用に回す。)こうして作った鋳型に、熱で溶かしたアルミニウムを流し込み、一晩冷やせば、最終的に木漏れ日の記号が刻まれた銀色の文字盤ができ上がっている。

この鋳造という工程は、僕のあらゆるドローイング制作の核心にあるプロセス、つまり「見ること」と「描かれたもの」との間で起こっていることを、実際に再認識させてくれるものだった。もともとあった物質や記憶が消えて、それらの痕跡としての新しい物質や記憶が現れるまでに、様々なネガポジ反転現象が起こっているということ。そもそも反転というのは、約3万5千年前の旧石器人がショーヴェ洞窟に施した手形(ネガティヴハンド)に始まって、19世紀に生まれた写真術にも通底する、イメージの生成技術である。これによって現実そのものを「鋳型」として、ネガポジ反転=鋳造されたイメージが現実の隣りに現像される。さらに、こうして生まれたイメージもまた「見られる」ことによって、すでに「描かれたもの」という、もうひとつ別の現実となり、次の鋳造のための型になるわけだ。こうしてイメージはまた新たなイメージへ、現実は新たな現実へと鋳造され続け、もともとそこにあったものは痕跡を残して忘れ去られ、フィードバックの外へとじわじわ拡張していく。だから鋳造は、エコーを生む技術だと言える。

オノ・ヨーコが「あらゆる線は円の一部」と言っていたが、たしかに現実にある線を細かく見ると、どれも震えていたり曲がっていたりして、延長していけばそれらは必ずいびつな円=「島」を形作る。だから全ての線は内と外の空間と時間を分つ境界線であり、波打ち際なのだ。皮膚が体内と体外の空間を分つ波打ち際であるように、現在という瞬間は過去と未来の時間を分つ波打ち際である。
僕はまず「見ること」によってこの波打ち際をなぞる。そしてそのエッジに立って、見たこともないような魚を目がけて、できるだけ遠くへ釣り針を投げる。魚がかかったその瞬間に、釣り糸は内と外をつなぐ回路となり、やがて内と外が反転する。つまりかつての自分は消えてしまい、今度は魚の方が自分自身になっている。ポジはネガになり、未来は過去になる。あるいはネガがポジになり、過去が未来になる。これを繰り返すことで、エコーが生まれる。 アーサー・ラッセルの音楽アルバム「World of Echo」のように、エコーだけで作られたもうひとつ別の世界を、現実と呼ばれている世界の隣に作りだす。それは常に現実と反転し合いながら、時間と空間の境界線を変容させ、拡張し続ける。

一連のシリーズ"casting"は、博物館のカタログなどに印刷された資料写真の切り抜きを用いて、こういった「鋳造=投げ釣り」というプロセスを平面上で象徴的に行うという試みである。


casting #62 / 2012 / spray paint on printed paper © Hiraku Suzuki
bacteria sign (circle) #11 / 2000 / earth, dead leaves and acrylic on wooden panel © Hiraku Suzuki
road sign O / 2002 / pieces of asphalt © Hiraku Suzuki
Glyphs of the Light #02 / 2011 / aluminium © Hiraku Suzuki

2012/05/16

A season in between the big cut-ups

仙台 Sendai
祖母に会いに to see my grandma (my best friend)
神奈川 Kanagawa
スタジオで in my studio
石垣 Ishigaki
洞窟 the cave
神奈川 Kanagawa
スタジオで in my studio
西表 Iriomote
葉っぱ the leaves
神奈川 Kanagawa
スタジオで in my studio
神奈川 Kanagawa
ギター the guitar
福島 Fukushima
祖父に会いに to see my grandpa
東京 Tokyo
新しいリズム "A New Rhythm"
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昨日描いた絵、今日描いていた絵、明日描く絵。

キング・タビーの音楽みたいに、タクシーの運転手との会話みたいに、ド忘れしていた友達の名前を思い出すまでの間のように、モロッコのメディナでまっすぐ進んでるつもりがいつの間にか来た道に戻っていたときのように、料理番組で「ハイ、これが一晩煮込んだものです〜」って別の鍋を取り出されちゃったときのように。 一見脈絡がない。時間も空間もプッツリいっているようで、テキトーなようで。でも、そこには見えない回路が確かに存在している。自ずと前に進んでいる。

何かと何かの間の空白は、虚無じゃない。ちゃんとそこに、季節が流れている。


2012/04/07

ローレン・コナーズと新しい記憶

Artcards and Printed Matter presents Editquette – a live visual-sonic performance curated by Opalnest for the 2012 Armory Arts Week.
Hiraku Suzuki and Julien Langendorff with Loren Connors
(photo: Amy Mitten. courtesy of Opalnest)

こんにちは、春。NYから帰国して、久しぶりに、そこらへんの木を近くから見たり遠くから見たり、スズメの顔をよく見たりとかしている。(iPhoneの番号など、前と一緒なのでよろしく)

しばらくハードな旅をしていたら、いわゆる故郷ってやつがなくなっていたんだけど。その代わりに地球上の色々な場所というか、もっと全体的なところが故郷っぽくなっていた。生まれてから2歳まで住んだ宮城の家はもうないし、父方の実家がある福島のあの桃畑や、ミミズで釣りをして全然釣れなかったあの河原にもう訪れることはないかもしれない。でも、それでいい。僕はもう大した荷物もないし、ペラペラの軽い紙があれば、どこでも作品を作ることができる。そして作ること自体が生きる現場になってきている。
世界中のどこに行っても、僕が描いた絵をパッと見て「なんか懐かしいワー」と言ってくれる人が時々いる。なんでだろう?なんだろうね。たまに「原風景」ということを思うんだけど、僕にとってのそれは、どうやら特定の場所にまつわる個人的な記憶というより、それこそ絵を描いているときや、街中や、ジャングルの中を歩いているときや、夢の中、音楽を聞いているときなんかに偶然ふと感じ取ってしまう、得体の知れない懐かしさの中にある何かのことだ。脳の裏側の空白部分に光が差し込んで、そこにキリッと立ち上がってはすぐに消えてしまうような、何か胸騒ぎがするような静かな風景を捉えたいし、人の中にあるそういう風景に触れることがすきだ。

人は本当に見たことのないものや、聞いたことのない音に深く触れたときにだけ、場所も時間も超えて、どこへでも行ける。情報と知識のツギハギ構造物に埋もれている、まっさらな目と耳を掘り出して、それを持って一歩外に出ることができれば、誰でも新しい故郷を作り出すことができると思うのだ。
「大人になっても子供の目や耳を持つ」ということじゃない。そりゃ無理ってもんだ。そうではなくて、蓄積してしまった大量の記号を気前よくいったん手放すことで生まれる空白の部分、その瞬間のいびつなカタチを恐れずに、くっきりと感じ取ることが必要なのだ。この時代にゼロからものを作って生きていくというのは、そういうことだ。

Performance Art Journalという、パフォーマンスとドローイングに焦点を当てたNYの雑誌がある。35年もの間この雑誌に携わってきたボニーという編集長は、メレディス・モンク、ローリー・アンダーソン、ジョン・ケージやブライオン・ガイシンなんかが描いた絵を次々と見せてくれつつ、僕のドローイングは全て「post-literature poetry」だって言っていた。ケージの楽譜に近い、とも言っていた。
文学が終わった後の詩、または、言葉を手放したあとにやって来る詩。この視点はナルホド面白い発想だな、と思った。それまで僕はじぶんの絵を、言語の「前」にかつてあったもの、と捉えることはあったけど、むしろ「後」だったんじゃないか。今はそう考えた方がしっくりくる気がした。
かつてモロッコのタンジェで、ガイシンが小説家のバロウズに「文学は絵画より50年遅れている」と言ってカット・アップの手法を教えてから、もう既に50年以上が経っている。僕は文学のことはよく知らないんだけど、僕が描いている架空の言語の痕跡のようなドローイングは実は言葉のずっと後に在って、だから意味が不在であり、いつも肝心の部分が空白なのだろう。
そう考えたら、僕のドローイングの中にある空白が、鏡のように鑑賞者の視線を反射して、それぞれの内面にかつてあったはずの言葉を照らしたときに、人は「この絵が懐かしい」と言うのかもしれないね。
僕の絵にどれも共通しているのはこうした「言語へのサウダージ」だ。それらは未来の視点から、かつてそこにあった言語(=いまここにある言語)を懐かしんでいる「原風景画」なのかもしれない。その状態をボニーは「post-literature poetry」と呼んでくれたのだと思う。

さて、帰国2日前に、ローレン・コナーズという音楽家と一緒に、ライブドローイングをやった。すごくいいライブだった。今までで一番よかった。

この偉大なギタリストの40年近い歩みについては、詳しく知っている人が他にいるだろうし、たった3回しか会ったことのない僕が説明するのはちょっと気がひける。
ただこれだけは言えるんだけど、いまのローレンが奏でる音は、めちゃくちゃ凄い。もう、ギターの音とかじゃない。砂漠で聞こえる風の音のようだったり、地下道の排気口から聞こえてくる音のようだったりもするが、それらとも全く違う。他の何でもなく、地球上でローレン・コナーズの手だけがつくり出せる唯一無二の音景だ。
彼の音は、ゼロ=無音と同じレベルの地平に、ただの1現象としてあっけらかんと放り出される。それでいて、最初の出音から最後の一音が完全に消え去るまで、呼吸をするようにどんどん変化する。耳から遠いずっと後ろから聞こえると同時に自分の体内の深い部分からも聞こえてくる。本当にとことん予測不能で無意味で、つまり自然で、大らかで、ヤバくて、危険で、でもどこか安らぐような、懐かしさを感じる響き。まるで空白が鳴っているような、人間が遠い未来に言葉を失ったとき、音楽はこういう風に聞こえるんじゃないか?というような音なんだ。

最初にローレンと話したのは、ルーレットでの彼のソロライブ終演後で、僕はすでに放心状態だったと思う。彼の数少ない親しい友人である恩田晃さんが紹介してくれたんだけど、杖で体を支えた灰色のスーツ姿のローレンが、穏やかな笑顔で僕の耳にポツリポツリと話しかけてくれたとき、何を言っていたのか、半分くらい分からなかった笑。でも同時に、NYにありふれた「ハロー」から始まるような関係性では絶対に伝わらない部分、言葉そのものではなくて言葉の痕跡の部分が伝わってきて、じんわりした気持ちになった。出会うべき人に出会った時の感覚って、こういうものだと思う。

その後プロデューサーが付き、やはりNYで衝撃的に出会ったジュリアンというパリから来ていたコラージュアーティスト/詩人も誘って、ローレンと僕とジュリアンの3人でヴィジュアルと音とのライブパフォーマンスが実現することになった。
まあ正直ローレンに関しては、ちょっとこんな凄すぎる人、しかも他のアーティストと共演をしたがらない人と一緒に、おれは一体何ができるのか?と思って何度か不安になった。演奏中に突然止まってしまうとか、共演者の音を全く聞かない(聞けない)ことが多々あるという話も聞いていた。でもあまり考えず、いつも通りゼロから即興していけばなんとかなるさ、と思って当日を迎えた。

ライブが始まってすぐ、ハッとした。僕はローレンの音の中で勝手に泳ぐようなイメージで描き始めていたんだけど、気づいたらローレンが椅子から立ち上がって、僕のドローイングを見ていた。彼は、変化していく僕の線や点に反応して、音を出していたのだった。
その時点で、これは今までのライブドローイングとは全く別次元のことをやっているぞ、という感触があった。僕は音と同時に進行する楽譜を書いているようだった。絵と音が、互いにトリガーとなり、時間軸上で寸分違わず進んでいった。感覚がなくなって回路みたいになった手を通じて、僕はローレンの音の全体像を初めて隅々まで深く理解していた。そうして自分でも全く見たことのない絵を次々と描いていた。ローレンの音も、今まで全く聞いた事のない音だった。二人とも、とても自由でたのしかった。時々ジュリアンがポツポツと流れを変えてくれて、またそれがよかった。

30分くらいの間、本当に濃密な時間が発生していた。あの場に居た人は皆、特別な空気を一緒に作って味わってくれていたように感じる。ライブが終わって会場の照明がついた直後、映画監督のジムが興奮しながら僕のところに来て、「なんであんなに完璧に、お前の絵とローレンの音が合っていたんだ?」と聞いてきた。そのときに思った。ああ僕もローレンも、相手に合わせたり互いに頼り合うこともなく、淡々とじぶんのことをやっていただけなんだと。そして僕たちはお互いの表現の中に、鏡を見るように、自分の新しい記憶を見つけて、それを懐かしんでいたんだ、と。
たぶん、こうやって僕はまたこれから、新しい故郷をつくり出していくんだろうなあ。
ローレン、ジュリアン、ヘレン、ジム、アニエスをはじめ、このライブに関わってくれた全ての人達、見に来てくれた人達、そして恩田晃さんに感謝。

Loren Connors, Julien Langendorff, Jim Jarmusch, Hiraku Suzuki
(photo: Louie Metzner. courtesy of Opalnest)

2012/01/11

8年目のGENGAについてのメモ

<連絡:昨年、iPhoneがニューヨークのどこかで消えました。3/15あたりまでのアメリカ外からの連絡はhirakusuzuki@wordpublic.comかhirakusuzuki02@gmail.comマデ、またはfacebookかskypeでよろしく。>














昨夜はNYで参加したグループ展のオープニングがあった。ラズや音楽家の恩田晃さん含め、たくさんの新しい友人達も来てくれて、Location Oneディレクターのクレアのロフトでアフターパーティーもあり、皆で楽しい時間を過ごした。当初のプランとしては作品「GENGA」の映像をシンプルに展示するつもりだったが、結局はバッチリ壁画も描いてしまった。ついつい、癖で。
でも、もう自分にとって作品の形態は入り口に過ぎないと思える。逆に入り口さえちゃんと設定すれば、あとはただそこから続く道を自分の速さで進むだけでいい。まっすぐ進んだり、抜け道や細かい道を選んで歩いているうちに、大きな歴史上の道に出くわしたり、ずっと昔に通った懐かしい道と交差する。そこには滝があったり、鉱山があったり、枯葉や、アスファルトや、マンホールがあったりもする。わざと未踏の森に迷い込んでそこにぐねぐねと迷路のような道を描き足したりもしていく。そしてまた手で、向かうべき方向を問いかけ続けていった先に、最終的に「これでしかない」という出口を、現実の中に見つける。その軌跡が新しい地図になれば、それは必ず作品になる。だから、いつも次に作るものが一番いいんだ。

来場していたMoMAキュレーターのクリスチャン・ラトメイヤーは僕の作品を見て、笑いながら固い握手を求めてきた。そんなつもりはなかったが、アホみたいに涙が出そうになった瞬間であった。西欧美術史の再生産とマーケット至上主義が加速するアートワールドを残念な思いで遠目に見ながら、極東の島国日本で粛々と自分の制作をしていた2年ほど前、クリスチャンの「Compass in Hand」という本に出会って衝撃を受けた。これはドローイングの全く新しい定義づけと拡張によってこれまでの美術史を塗り替え、それによって現実を見る視点そのものを変化させるような革新的な展覧会のカタログブックだった。コンパスは手の中にある。僕は自分と同じようなことを考えている人が遠く世界のどこかに居てデカイことをやっている、という事実に感激すると同時に、どうしてもそこに届かないちっぽけな自分の立ち位置に、言いようもなくもどかしい思いを噛み締めた。だから、2年越しのNYでのこの出会いは本当に感慨深かった。アーティストとキュレーターとかいう関係性に限定したことではなく、僕は自分の作品をしかるべき人に、しかるべきタイミングで直接伝えることが、どれだけの相乗効果を生み出すかを知っている。

ちょうど8年前の2004年に「GENGA」を描きはじめた頃、派遣社員だった自分は、銀座のオフィスに通い、求人情報誌に掲載する地図を作成するという仕事をしていた。統一された規格で、誰が見ても分かるような地図を作らなくてはいけなかった。でも仕事中はキーボードの下に白い紙をしのばせ、一瞬でも空いた時間にはそこに何か小さなカタチをメモしていた。昼休みはもちろん集団ランチをヘラヘラしつつ断り、日比谷公園のベンチで一人、ひたすら紙にスケッチをしていた。終業後は東中野の薄暗いアパートに直帰して、夜の7時から明け方まで、原始人みたいにコピー用紙とマーカーで「GENGA」を描いて描いて描きまくっていた。だいたい1日20枚描いて、1,2枚を残してあとは捨てていた。そこには何の目的も、野心もなかった。キャンバスに描かないと西欧絵画史の文脈に乗らないから売れないことなんて高校生の時から大体知っていた。というより、当初はこれを発表しようとすら思っていなかった。ただ、何かこの世界には、少なくとも自分が感じ取れる世界には、日本語とか英語とかという既存の言語では捉えることのできない普遍的な言語が既に存在している、という確信だけがあって、その全てを描き尽くしたい、そうせざるを得ない、という切実さがあった。

「GENGA」は、まず家に遊びに来た信頼できる仲間たちに面白がられ、ごく個人的な関係性の延長上で拡がっていき、やがてパリに居るアニエス・ベーというとんでもない好奇心と知恵を持った人物に深く受け止められた。彼女は一瞬ですべてを理解した。絵を見た直後に、「あなたは子供のころから絵や文字を描くのが好きだったのね」とニッコリ笑って、何も質問してこなかった。「あなたは私の友達だ」と言った。ある意味、作家以上にその作品を理解する人というのが実在することを初めて知って、本当に驚いた。僕がインタビュー等でいつも子供のころの話をするのは、そういうわけだ。
自分から売り込んだことは一回もないが、「GENGA」は東京でもストックホルムでもシドニーでもソウルでもサンパウロでも、もちろんパリでも見せる機会に恵まれた。そして絵が1000枚に達したと同時に、また新たな出会いから、金沢21世紀美術館の一番大きな展示室の壁一面を覆うことになり、2010年の2月にはアニエスの支援を受けつつ、東京の河出書房新社から本として出版された。この、少なくとも100年の耐久性を持った1000ページの文庫本は、アムステルダムのIDEA BOOKSからベルリンなどへ少しずつ拡がっていき、2011年の夏に個展をやったロンドンのセンター・フォー・ドローイングのライブラリーにも入った。こうして「GENGA」は本として、コムデギャルソンの川久保玲さんや、NYのジョナス・メカスやマット・マリカンなど僕が尊敬するアーティスト達の手にも渡り、そして昨日、現在世界でドローイングに携わる最も重要なキュレーターであるクリスチャン・ラトメイヤーにまで届いたというわけだ。この事実は素直に驚くべきことだし、希望を感じさせることである。つまり個から始まった作品そのものが、個の意識を超えて遠くの人や場所と出会い、まるで新しい星座を描くように拡がっていくこと。そしてまだまだ新しい人や未踏の地と出会い続けることは間違いないだろうということだ。

当たり前だが、美術館や海外のエライ人に認められたらエライ、というようなデカダンな話じゃない。ただ僕は、世界が、人間の生が、いくら複雑で困難になろうと、創造性の最も深い部分をシンプルに、生きていく力学そのものに近いところに取り戻したくて、そのためには、もうひとつ別の言語が必要だと思った。想像力を既成の記号体系から解き放ち、野性に保ち続けるための、世界の謎に触れるための新しい地図を自分の手で描いて、それを広い世界に問いかけたかった。

そういえば先日、アメリカの伝説的なダンサーであるトリシャ・ブラウンの個展に行って、初めて彼女のドローイングをまとめて見ることができたんだが、最初の一枚を見て、なにかスッと腑に落ちるものがあった。ドローイングといっても、本人が手や足の指に木炭を挟んで、巨大な紙の上で踊った痕跡である。まずまっさらな紙があって、その地平の上に、ある速度とリズムを持った身体と精神の動き、ストローク、跳ね、振動によって、未知の文字の断片がポツポツと生成されていって、それが大きな流れになり、そしてコトバになる直前でフッと消える。そんな巨大な地図のような絵の前で、レコードを再生するように、彼女の身体と精神の軌跡をそのまま体感することができた。ああ、これがこの人の話し方なんだなーということが自然と感じられた。

ジャック・デリダが「舌語(舌の言語)」と呼んだアンドレ・マッソンのオートマティックドローイング、それからアンリ・ミショーのムーヴマン、ブライオン・ガイシンの砂漠のカリグラフィー、マット・マリカンのヒプノシスドローイング、石川九楊の書、あるいは街中でふと目にする無名のグラフィティライターによるタギングも含め、僕がずっと気になり続けているドローイングに共通して感じられるのはこのことで、それらはいまだ解読されていない地図でもあるということだ。作家が死んでいるかまだ生きているかはあまり関係なくて、どれだけ時間が経とうと、彼らの絵は見る人の内側のプレイヤーで再生されることで生き続け、精神の地図を拡張し続けている。彼らの絵はカッコよくはないし、立派なキャンバスに描かれたものではないから、美術館で見てもなかなか収まりがよろしくない。しかし彼らの絵は、言語になる直前の状態で雄弁にしゃべっている。世界中の言語体系から自ずと外れたところで、「これでしかない」というような体系を持っている。何を言っているのか分からなくてもいい、とにかく彼らの身体と精神が辿った道筋そのものが証拠として刻まれた地図が、それぞれの話し方で、話しかけてくる。そういう絵と向き合うと、そこにある謎と、自分の内側の謎が時空を超えてエコーする。そうしたら今度は自分の内側の謎と外の現実世界にある謎が共鳴して、また新しい地図を描きたくなる。それがまた絵を見てくれる誰かの内面の謎と響き合っていったら嬉しいし、そうやって新しい想像力の地図がどこまでも拡がっていったらいい。

僕はいつも、世界がどれだけ広くて、人間はいかに何も知らないか、そして今でも世界がどれだけ新しい可能性を秘めているか、そういうことを問いかけ、引き出し、引き出され続けたい。だから、この仕事には終わりがないんだと思う。

2012/01/01

謹賀新年

明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

2012年1月1日
Rockaway Beach, New York

2011/12/30

この映像




撮影/編集/監督:モニカ・バプティスタ
撮影:安念真吾
整音:ヒューゴ・サントス
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生描画:鈴木ヒラク
生演奏:ラズ・メシナイ
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今さっき完成版を初めて通しで見て、これは本当に映像として面白いと思った。この場にいなかった人も、いてくれた人も、できれば最後まで見て/聞いてほしい。自分はさすがに一回見るだけでよくて、もうたぶん見ないけど。でもどこかの大きいスクリーンで爆音で一回だけ上映とかしたら面白いかもしれない。

ちなみに解説じゃないが、ここで少し紹介をしたい。このラズというユダヤ人の音楽家は、最高です。彼とはヘルズ・キッチンにある大きな劇場みたいな場所で知り合った。僕はもともと10代の頃から、当時ラズがやっていたSub DubというユニットやBADAWIという別名義での音楽は耳にしていたんだが、ライブを見るのは初めてだった。その日はNY中の即興演奏家が集まり、入れ替わりで5時間演奏し続けるというイベントで、ジーナ・パーキンスやエリオット・シャープ、DJスプーキー、アンチポップ・コンソーティアム、イクエ・モリ、ジョン・ブッチャー等々という凄まじいメンツがそれぞれの独自なやり方で音を出して、ある流れをかたち作っていた。その中で、最も異彩を放っていたのがラズだった。一番フザケていて、深淵で、果敢で、しかも完璧なプレイをしていた。それで終演後、いきなり彼に「何かやりたいっす!」とか熱く話しかけている自分がいた。そのあともう一回ソーホーのクラブでも再会した時にまた色々話して、「ンじゃあなんか即興で音出すワー」と言ってもらい、今回のショーが実現した。とにかくラズは、本当に音楽の通りの人間です。

それから、この映像を作ったモニカという映像作家も、かなり興味深い人間です。最初はスタジオの外の階段で座っているときにタバコの火を貸して普通に話していたんだけど、次の日近所でやっていたジョナス・メカスのショーのオープニングでも会った。それで、あとでスタジオが隣だったことに気づいたっていう。彼女の作品はいくつか見たけど、巨石を撮ったフィルムとか、ロシアの兵士とチェチェン人の2人を同じ鉄道の中で撮った映像とか、面白かった。この人は映写機を使ったパフォーマンスもやっていて、来週フィル・ニブロック御大とコラボレーションをするらしい。彼女みたいにテクノロジーに精通している若い人が、フィルムとかカセットテープとかレンズとか、ガラクタのようなものや、音楽も含め、古いもの全般に愛着を持って、大事に使っているのを見ると、素晴らしいなと思う。

サウンドエンジニアのヒューゴはモニカの友達で、今はサウンドの勉強と仕事をしているが、もともとカイピリーニャ専門のバーでバーテンをしていたという男。彼の作るカイピリーニャは2年前に僕がブラジルで飲んだのと全く同じ味がするし、同じ効き方がする。それで、なんというかとにかく最高にいいヤツで、だから、この映像の音はめちゃくちゃいいはずです。

そんなメンバーに加え、ちょうどNYに滞在中だった、長年の戦友であるMC/アクティヴィストのシンゴ02くんが絶妙なカメラワークで参加してくれた。彼は本当に多才で、グラフィックもすごいの作るし、写真や映像もかっこいいのを撮るんだよなあ。

今年は暖冬と言われているが、やはりNYの外気に触れると、なんか全体的に自分の表面がビリッとする。NYは常に自らをアイデンティファイすることが求められる場所だ。人と人との間に、日本のような余白もなく、ヨーロッパのような深い歴史もなく、ただ平面上に無数の差異が同時にあり、ぶつかり合いせめぎ合っている。「で、お前は何者なんだ?」と。たぶんこういうせめぎ合いの中で生まれる「自由」ってものがあるんだと思う。いま僕はそれを一番学んでいる気がしている。

そんな中、こうして東京でやるのと変わらないようなテンションで、でも少しだけ前に進んで、面白い、変な、素晴らしい志を持った仲間達と協力して新しい何かを作れたことは嬉しいし、本当によかったと思う。
感謝。

よい年を!


2011/12/18

このライブ















やった直後、iPhoneをなくした。いっしょに記憶もなくしました。舌がビリビリする位の高熱を引きずったまま合計40mぶん描いたりしたもんで。でも、内容はよかったと思う。面白い映像も残っているし、後になって嬉しい感想を聞いたり、好意的な取材も受けた。しかし何より、手が感触を覚えている。まああと3ヶ月弱、NYではiPhoneナシでいきます。(アメリカ用のおもちゃみたいな携帯は持っています。)

このライブを見に来てくれた画家がいる。僕は初めて会ったんだが、お互いの作品のことは知っていた。昨日の昼、ブルックリンにある彼のスタジオを訪ねた。不思議な奥行きを持った音楽みたいな絵に囲まれながら、コーヒーを飲みながら、窓の外が暗くなるまで2人でいろいろと四方山話をした。共通の知人である、数年前に突然この世から消えてしまった「時計」という名前の音楽家の、キラキラした音楽を久しぶりに聞いていた。それで、なんというか。一昨日に89歳のジョナス・メカスの新作映画「Sleepless Nights Stories」を見ているときにも、逆の方向から同じようなことを感じんたんだけど。本当に人間ってヤツは、そのものが音楽や映画みたいで、なんていびつで複雑でバカバカしくて理不尽で、いとおしい現象なんだろうか。その現象の前にも後にも世界はあり続けるっていうのに、限られた時間と空間の中でじたばたする。それを飛び越えようとしたり、壊そうとしたり、諦めたり、乾杯したり、俳句を詠んだり、歌ったり踊ったり、何かよくわからなくなっちゃったり、何かに気づいたり、全てをかけて何かを作って刻み込もうとしたり、いろいろする。

今年が終わろうとしている。まあまだちょっとあるが。どこにいても、生きてりゃ、日々いろいろなことが起こる。でも今ひとつ自分にとって確かなのは、このとんでもなく波打った時間と空間の中で、僕の作品をフラリ見に来てくれた人へ、心の底から「ありがとう」って伝えたい気持ちだ。伝えきれないから、またコツンコツンと、自分の手で描いていく。実際は描いているときには、何も関係ないんだけど。でも同時に全部が関係ある。誇張でもなんでもなく、本当に何もかもが、当たり前のように関係している。そういうことをしっかり実感しながら、まだまだ先に進んでいこう。

というわけで、ここに写真をいくつか載せておく。Razの音が本当に素晴らしかったから、映像もたぶん、また後で。

Hiraku Suzuki Live Drawing Performance with Live Music by Raz Mesinai
at Location One (NY)

photo by Chito Yoshida





















2011/07/17

リズムとしてのドローイング、シグナルとしてのドローイング


スーツケース一個で「ナイストゥーミーチュー」とやってきて、石けんと塩・胡椒、あとタワシを買うってところから始まった9年ぶりのロンドンだったが、トップスピードのまま2ヶ月が過ぎ、気づけば自分がタワシみたいになっていた。もうすぐ個展の搬入が始まるけれど、未だにスタジオと鋳造所を往復しながら、試行錯誤の日々を過ごしている。いま鋳造所では、砂を使った鋳造法を職人さんに教わりながら、架空のロゼッタストーンのような銀色の彫刻作品を作っている。熱で溶けた鉱物が引き起こす様々な自然現象との原始的な格闘が続いていたが、最近ようやく仲良くなれたというか、カチリとはまった感触を得た。いやー面白いよ、鋳造って。実際、1回むけた右手の皮が再生して、手もリニューアルしちゃった。

個展の会場は天窓がいい感じのかなり広いギャラリーで、展示は光が反響し合って空間を飛び交っているような、なんというか、ぜんたい的に「新しい音楽」みたいになったらいいな、って思っている。
というのも、この前、おれがやっているのは音楽なんじゃないか?とふと思ったんである。絵を描いたり彫刻を作っているようで、実はずっと自分の音楽をやってきたんじゃないかって。確かに10年ちょっと前までは、日々悶々としながらも夢中で音楽ばかり作って、音楽で食っていきたいと漠然と思っていた。でもそれ以上に、一番聞きたい新しい音楽は、自分の手で作り出したかった。その頃の自分が、どういうふうに時間と空間を知覚していて、どんな音の質感や配列や動き方、つまり「リズム」を求めていたか。そこの部分の記憶が、自然と今に重なった。アーサー・ラッセルのアルバム、ワールド・オブ・エコーのCDのライナーにも「リズムはシグナル」というようなことが書かれていたっけ。10年かかったけど、これは今の自分にとって大きな気づきだった。

ところで、先日、UAL(ロンドン芸術大学)学長のクリス氏からエッセイの執筆を頼まれて、このHIP HOPとバックパッカー旅行から学んだざっくりした英語で、自分の制作や今度の個展のことについての短い文章を書いてみた。時間もないので以前に答えたインタビューなどから多少切り貼りしたりもしたが、今の日本のことも書いた。これはUALの大学院が年刊で出版している「Bright 6」という本に掲載される予定だという。
がんばって書いた英語の文章、それから日本語の訳文も後につけてここに載せておく。


Drawing as signals


Hiraku Suzuki



I have been drawing since I was about 3. There used to be a lot of blueprints at my home because my father was an architect and I used to draw something like a moai on their reverse. I also spent a good chunk of my childhood excavating unknown things like earthenware fragments, minerals, and fossils in my neighborhood. When I was 10 years old, I saw a small photo of the Rosseta stone and read stories about deciphering the glyphs, which completely fascinated me. Then I wanted to become an archaeologist. 



Although now an artist my practice, including works on paper, on panel, mural, installation, frottage, live drawing, video and so on, are reference to the new possibilities of drawing  in the world today. The method I have in my mind through the act of drawing, however, is still closer to ‘excavating’ things that are hidden in here and now, than to ‘depicting’ objects/scenery/ideas in a classical way. 



Archaeology was considered a profession for artists until the 19th century. Today, now there are the vast uninterpreted fields from our past.  I can’t help thinking about the genesis of drawing which has the synchronia with the beginning of language in the human history. There are various hypotheses on it, but I think the most relevant one is the 29 lines that the upper Paleolithic people carved on common stones around 35 thousand years ago - which are thought to have been recorded the days between phases of the moon. There were 4 elements in the occurrence; the light, the transformation, the stone and the act of carving. Those carved lines might be thought of as the most primitive form of glyph or drawing - they function as the record of time past and also as the signal of the future. 



Obviously, my country Japan is facing an unprecedented crisis now, and this is no longer the local concern in Japan, nor is the issue's scope limited for the people of today. It is particularly at times like this that one starts to ask questions about the strong relationship between what we call art and humanity in a real sense.  In order to do so, we should know that the moment we call 'now' is not a dot, independent from past and future. I believe, by the act of drawing and looking at the signs that have been drawn, we can take 'now' into our own perspective, because drawing has always been the intersection of direct human circumstance and the long cosmic time since its birth, and it will continue to be. 

My exhibition 'Glyphs of the Light' at Wimbledon will consist of about 40 pieces of new drawing work and some sculptures which I am producing during this residency in London. Every work represents the intersection of my intimate relationship with phenomena taking place on my current environment at Chelsea as well as my interest in archaeology and language. Recently I have been greatly inspired by the residual images of transformation of sunbeams streaming through leaves on the road.  I hope my works to be as the creative mediator – linking subtle memories of 'signs' and 'phenomena' with the future.


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シグナルとしてのドローイング

鈴木ヒラク

僕がドローイングを始めたのは3歳の頃でした。父が建築の仕事をしていたので、家にはいつも図面の青焼きがあって、その裏にモアイのような絵を描いていたことを覚えています。また、子供の頃は発掘少年で、土器のかけら、鉱物や化石なんかを近所で発掘して遊んでいました。そして10歳の頃にロゼッタストーンの写真を見て、石に刻まれた謎めいた文字の形に完全に惹かれてしまい、それが解読された経緯を知るにつれ、将来は考古学者になりたいと思うようになりました。

いま僕はアーティストとして、紙やパネルの上にドローイングをしたり、壁画・インスタレーション・フロッタージュ・ライブドローイング・映像など、様々な自分自身の作品を作るという仕事をしているし、それらの作品はすべて、人間が何かを「描く」という営為の、今日の世界における、新しい可能性の追求だと認識しています。しかし、いつも僕が描く行為の中で実践しているのは、何か個人的な事象や風景やアイディアを「表す」ことよりも、やはりいまここに秘められた何かを「発見する」という発掘に近いことなのです。

もともと19世紀に入るまで、考古学はアーティストの仕事でした。そして未だに、僕たちの過去という時空間の中には解読されていない広大な領域が広がっています。僕は、人類史においてドローイングが始まった、その瞬間のことについて思いを巡らせてしまいます。それは文字の始まりとも共時性を持っていたはずです。もちろんそれらの始原については様々な仮説がありますが、僕がいま最も関心があるのは、約3万5千年前の後期旧石器人が、そこらに転がっている何の変哲もない石に刻んだ 29本の線について、繰り返す月の満ち欠けを記録したものだとする説です。ここに僕たちは4つの要素:光・変容・石・そして刻むという行為、を見出すことができます。この29本の線が最も原始的な文字、あるいはドローイングであるとするなら、それらは過去の時間の記録であると同時に、未来の時間の変容を指し示すシグナルだと言えるでしょう。

ご存じのように、僕の国、日本はいま、かつてない危機に直面しています。そしてこれはもはや日本に限られた局地的な関心事ではなく、また現在生きている人間だけの問題でもありません。いま、アートと呼ばれるものと、人間の存在自体との本来の強い結びつきを、現実的な意味で考え直さなければいけない時が来ているのだと思います。それをするために僕たちは、まず、「いま」が過去や未来から切り離されたひとつの点ではない、ということを知る必要があります。僕は、人間は描くという行為によって、また描かれた痕跡を見るという行為によって、「いま」という瞬間をそれぞれの時間軸の中で捉えることができる、と信じています。なぜなら、ドローイングは、その始原からずっと、人間が直接的に向き合っている現状と、長い長い宇宙的な時間との交差点であり続けているからです。

ウィンブルドンでの僕の個展「光の象形文字」では、ロンドン滞在中に制作した約40点のドローイングと、いくつかの彫刻作品を出品する予定です。すべての作品は、描くという行為の中で、いま僕が滞在しているチェルシー周辺の環境と、考古学や言語学への関心が交差しています。最近は、道路に落ちている木漏れ日の形の変容、その残像にとても想像力を喚起されています。僕はこれらの作品達が、日常の中にありふれた「しるし」や「現象」の、とても些細な記憶を未来へとつなぐ、創造的な媒介物になることを願っています。

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2011/05/17

道の続き

3日前、ノルウェーから帰国した。そして2日後にはイギリスに飛び、ロンドンのチェルシーカレッジオブアートの新しいレジデンス施設で約3ヶ月の滞在制作と、8月上旬にウィンブルドンのギャラリーで個展が決まっている。今回は初めて金属を使った作品を作り、いくつかはロンドン芸術大学に収める予定だ。さて、どうなるか。イギリスからの帰国予定日は8/15である。

人間は肉体という物質をもっているし、その時々にいる場所と結びついて生きているから、物理的に空間を移動することによって、かつていた場所について知ったり、じぶんの輪郭がよく見えてくることがある。ただ、例えどこに行ったとしても、行かなかったとしても、エイリアンの目線で世界を観賞するだけじゃなく、かと言って単にその場に慣れ親しんでるわけでもない、もっと長い長い時間の中での必然としてその場所にいるっていう状態を常に作り出し続けること、そうあろうとする姿勢こそが大切だと今は思う。おれの場合は「描くこと」がそのための技術なのだと思う。

思い返せば2010年は夏前のパリとベルリン遠征以外はほとんど東京から出なかったわけだが、2009年は一年の半分以上は東京の外にいた。オーストラリアに二ヶ月、それから金沢、タイ、インド、北海道など、長期の移動が続くオン・ザ・ロード状態な年であった。そして年末のブラジル・サンパウロ滞在の最後に、「道の終わり」という絵を描いた。

ブラジルを中心に世界7カ国から集まった10人の同世代アーティスト達と朝から晩まで一緒にいて、毎日カシャーサを飲み、サンバで踊って、肉を分け合って食い、悩みを打ち明け、服を着たまま屋上のプールに飛び込み、毎日のようにやってくるハイテンションなテレビの取材にうんざりしたり、お互いの作品について真剣に議論したり、ケンカをしたり、誰かと誰かが恋をしたり、カラオケしたり、全裸になったり、DJブース付きのバスに乗ってみんなで旅をして、ミナス州のジャングルの中にある美術館に行き、無数のとんでもないアートや奇妙な植物に触れ、そこでも毎晩朝まで野外でパーティーし、音楽をつくり、40mの壁画を描き、展覧会の初日にはメタルバンドを組んでライブをした。帰る日には全員と抱き合って泣いた。そんな生涯忘れられないであろう熱すぎた一ヶ月の、その最後に描いたのが、「道の終わり」という12枚の小さな作品だった。

このタイトルはアントニオ・カルロス・ジョビン作のボサノバスタンダード「三月の水」の冒頭で「棒、石、道の終わり」と歌われる詞からの引用である。街中で面白い形の石を見つけ、それをシルバーのインクに浸して、白い紙の上にスタンプすることで描いたとてもシンプルなドローイング。「道の終わり」は「石」の次に来る言葉、つまり石そのものではなくてその痕跡(エコー)。物質が消えても、記憶は銀の光を放っているということ。

そうしてすぐに東京での2010年は始まったけれど、やはりブラジルは遠くて、初めて異国へのサウダージ(郷愁)という新しい感情を知った。ブラジルの質感の鮮烈な記憶が肉体の中でエコーを続けていた。思えばその辺りから、じぶんの求めるテーマは、物質や実在の場所そのものより、「光」とか「結晶」とか、ちょっと抽象的な領域に入っていった。銀河と言語の間というタイトルの「GENGA」という銀色の本を出し、森美術館では反射する光を体感するインスタレーション「道路」を制作し、白い紙に石英の入ったシルバーマーカーで点描した「U」を発表したり、シルバーのスプレーで絵を描いて2冊目の作品集「鉱物探し」を出版したりした。

作品「道の終わり」から一年半が経って、今ようやくその「続き」が、入り口の輪郭が見え始めている気がする。

というわけで、ブラジルとは真逆でありつつ、とても深い郷愁を感じさせる国、ノルウェーでの今回のパフォーマンスの写真を紹介する。
このライブは相当よかった。記録映像はDVD化されることが決まっていて、そのリリースパーティーは東京でやりたいと思っている。

MAI JAZZ FESTIVAL PRESENTS
Kitchen Orchestra featuring Tetsuya Nagato & Hiraku Suzuki
at TOU SCENE (Stavanger, Norway)
photo by Karina Gytre