2019/09/08

今描くことについて

at Galerie Chantier Boite Noir (Montpellier, France) photo by Christian Laune
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灼熱の南仏、モンペリエに来て10日。最初の2日は街をうろついたり、地中海で軽く火傷したりしつつも、結局はただ描きまくる日々を過ごしている。先週は洞窟のようなギャラリーの壁に、そして昨日からはMO.CO.Panaceeという美術館の壁に。今回は、いくつかの石を壁に設置して、それを起点として描き始める、という新しい取り組みをしている。
以前ヨーロッパに住んでいた頃は当たり前だった自炊生活をして、昼は暑さでボロ雑巾みたいになりながら、1日2,3回シャワーを浴び、ただただ描きまくって洗濯して寝る。朝は開けっ放しの窓に近所から流れ込んでくるボブ・マーリーで目覚め、また描きに行く。思えば、昨年末に東京に新しいスタジオを作ってからしばらく篭って制作していたため、3週間以上の海外での滞在制作はとても久しぶりだ。そんな中、やはり確信するのは、自分は場所や時代が変わってもとにかく描いて生きていくのだ、という単純な事実である。

大切なのは、常に新しい起点を見つけ、それに駆動されようとすること。決して、同じ形を繰り返さないこと。知ったつもりになって同じ形を繰り返すのはダサいだけでなく、危険である。かと言って、真新しいアイデアを思いつこうと努力するのも違う。自分がやるべきことはいつも、ここまで進んできた道の2m先の地面に落ちている。ふと見ると、ゴミや犬の糞に混ざって、丁度いいサイズの小石があったりする。前や上ばかり向いていたらそれらのヒントを見過ごす。

尊敬する友達と馬鹿話をしたり、真剣に議論して、悩みや喜びを分け合って抱きしめて別れた、ヒンヤリとした夜の帰り道に、そういうものを見つけたりする。しばらく聞いていなかった音楽の中や、長らく閉じていた本をふと開いた時に、何かを新しく見つけることもある。

そこからまた描き始める。対象の表面を触り、匂いを嗅ぐ。耳を澄ませる。変化し続ける目の前の風景の、ただ一点に集中する。たっぷりと鉱物の粉を含んだシルバーマーカーの芯の先端。そこは全てが反転する矛盾の場所でもある。まるでそこ以外に生はないかのようなその一点、その瞬間に止まりながら、どこまで遠くへ掘り進められるか。

それは同時に、今ここから離れた遠くの場所で起こっていることや、今ではない過去の時間に起こったこと/これから先に起こり得ることにヴィヴィッドであろうとすることを意味する。日々のニュースが精神の底に鋭く重く沈殿する。でも、その痛みも掘り進むための原動力になっている。新しい方法で世界を把握するための別の言語を作るには、淡々と進めていくしかない。

マーカーの先から生まれた点が動き、線になる。上空から見た川のようだ。水面が光を乱反射している。近くに人影が見える。川辺で文字が発明され、新しい文明が始まった。一瞬、自分の子供の頃の記憶がチラつく。言葉を覚える前の記憶。さらに線は地層の奥へと進み、人間以外の世界、鉱物、惑星の記憶、そして未だ来ていない記憶を辿る。
全ての点と線の軌跡の集積が、光を反射して、網膜に残像を焼き付けていく。
シルバーのインクは、架空の銀塩写真の現像液なのかもしれない。それは過去ではなく、常に今を現像し続ける。

at MO.CO. Panacee (Montpellier, France) photo by Reno Leplat-Torti


at Galerie Chantier Boite Noir (Montpellier, France)