2011/05/17

道の続き

3日前、ノルウェーから帰国した。そして2日後にはイギリスに飛び、ロンドンのチェルシーカレッジオブアートの新しいレジデンス施設で約3ヶ月の滞在制作と、8月上旬にウィンブルドンのギャラリーで個展が決まっている。今回は初めて金属を使った作品を作り、いくつかはロンドン芸術大学に収める予定だ。さて、どうなるか。イギリスからの帰国予定日は8/15である。

人間は肉体という物質をもっているし、その時々にいる場所と結びついて生きているから、物理的に空間を移動することによって、かつていた場所について知ったり、じぶんの輪郭がよく見えてくることがある。ただ、例えどこに行ったとしても、行かなかったとしても、エイリアンの目線で世界を観賞するだけじゃなく、かと言って単にその場に慣れ親しんでるわけでもない、もっと長い長い時間の中での必然としてその場所にいるっていう状態を常に作り出し続けること、そうあろうとする姿勢こそが大切だと今は思う。おれの場合は「描くこと」がそのための技術なのだと思う。

思い返せば2010年は夏前のパリとベルリン遠征以外はほとんど東京から出なかったわけだが、2009年は一年の半分以上は東京の外にいた。オーストラリアに二ヶ月、それから金沢、タイ、インド、北海道など、長期の移動が続くオン・ザ・ロード状態な年であった。そして年末のブラジル・サンパウロ滞在の最後に、「道の終わり」という絵を描いた。

ブラジルを中心に世界7カ国から集まった10人の同世代アーティスト達と朝から晩まで一緒にいて、毎日カシャーサを飲み、サンバで踊って、肉を分け合って食い、悩みを打ち明け、服を着たまま屋上のプールに飛び込み、毎日のようにやってくるハイテンションなテレビの取材にうんざりしたり、お互いの作品について真剣に議論したり、ケンカをしたり、誰かと誰かが恋をしたり、カラオケしたり、全裸になったり、DJブース付きのバスに乗ってみんなで旅をして、ミナス州のジャングルの中にある美術館に行き、無数のとんでもないアートや奇妙な植物に触れ、そこでも毎晩朝まで野外でパーティーし、音楽をつくり、40mの壁画を描き、展覧会の初日にはメタルバンドを組んでライブをした。帰る日には全員と抱き合って泣いた。そんな生涯忘れられないであろう熱すぎた一ヶ月の、その最後に描いたのが、「道の終わり」という12枚の小さな作品だった。

このタイトルはアントニオ・カルロス・ジョビン作のボサノバスタンダード「三月の水」の冒頭で「棒、石、道の終わり」と歌われる詞からの引用である。街中で面白い形の石を見つけ、それをシルバーのインクに浸して、白い紙の上にスタンプすることで描いたとてもシンプルなドローイング。「道の終わり」は「石」の次に来る言葉、つまり石そのものではなくてその痕跡(エコー)。物質が消えても、記憶は銀の光を放っているということ。

そうしてすぐに東京での2010年は始まったけれど、やはりブラジルは遠くて、初めて異国へのサウダージ(郷愁)という新しい感情を知った。ブラジルの質感の鮮烈な記憶が肉体の中でエコーを続けていた。思えばその辺りから、じぶんの求めるテーマは、物質や実在の場所そのものより、「光」とか「結晶」とか、ちょっと抽象的な領域に入っていった。銀河と言語の間というタイトルの「GENGA」という銀色の本を出し、森美術館では反射する光を体感するインスタレーション「道路」を制作し、白い紙に石英の入ったシルバーマーカーで点描した「U」を発表したり、シルバーのスプレーで絵を描いて2冊目の作品集「鉱物探し」を出版したりした。

作品「道の終わり」から一年半が経って、今ようやくその「続き」が、入り口の輪郭が見え始めている気がする。

というわけで、ブラジルとは真逆でありつつ、とても深い郷愁を感じさせる国、ノルウェーでの今回のパフォーマンスの写真を紹介する。
このライブは相当よかった。記録映像はDVD化されることが決まっていて、そのリリースパーティーは東京でやりたいと思っている。

MAI JAZZ FESTIVAL PRESENTS
Kitchen Orchestra featuring Tetsuya Nagato & Hiraku Suzuki
at TOU SCENE (Stavanger, Norway)
photo by Karina Gytre