2011/12/18

このライブ















やった直後、iPhoneをなくした。いっしょに記憶もなくしました。舌がビリビリする位の高熱を引きずったまま合計40mぶん描いたりしたもんで。でも、内容はよかったと思う。面白い映像も残っているし、後になって嬉しい感想を聞いたり、好意的な取材も受けた。しかし何より、手が感触を覚えている。まああと3ヶ月弱、NYではiPhoneナシでいきます。(アメリカ用のおもちゃみたいな携帯は持っています。)

このライブを見に来てくれた画家がいる。僕は初めて会ったんだが、お互いの作品のことは知っていた。昨日の昼、ブルックリンにある彼のスタジオを訪ねた。不思議な奥行きを持った音楽みたいな絵に囲まれながら、コーヒーを飲みながら、窓の外が暗くなるまで2人でいろいろと四方山話をした。共通の知人である、数年前に突然この世から消えてしまった「時計」という名前の音楽家の、キラキラした音楽を久しぶりに聞いていた。それで、なんというか。一昨日に89歳のジョナス・メカスの新作映画「Sleepless Nights Stories」を見ているときにも、逆の方向から同じようなことを感じんたんだけど。本当に人間ってヤツは、そのものが音楽や映画みたいで、なんていびつで複雑でバカバカしくて理不尽で、いとおしい現象なんだろうか。その現象の前にも後にも世界はあり続けるっていうのに、限られた時間と空間の中でじたばたする。それを飛び越えようとしたり、壊そうとしたり、諦めたり、乾杯したり、俳句を詠んだり、歌ったり踊ったり、何かよくわからなくなっちゃったり、何かに気づいたり、全てをかけて何かを作って刻み込もうとしたり、いろいろする。

今年が終わろうとしている。まあまだちょっとあるが。どこにいても、生きてりゃ、日々いろいろなことが起こる。でも今ひとつ自分にとって確かなのは、このとんでもなく波打った時間と空間の中で、僕の作品をフラリ見に来てくれた人へ、心の底から「ありがとう」って伝えたい気持ちだ。伝えきれないから、またコツンコツンと、自分の手で描いていく。実際は描いているときには、何も関係ないんだけど。でも同時に全部が関係ある。誇張でもなんでもなく、本当に何もかもが、当たり前のように関係している。そういうことをしっかり実感しながら、まだまだ先に進んでいこう。

というわけで、ここに写真をいくつか載せておく。Razの音が本当に素晴らしかったから、映像もたぶん、また後で。

Hiraku Suzuki Live Drawing Performance with Live Music by Raz Mesinai
at Location One (NY)

photo by Chito Yoshida