2012/04/07

ローレン・コナーズと新しい記憶

Artcards and Printed Matter presents Editquette – a live visual-sonic performance curated by Opalnest for the 2012 Armory Arts Week.
Hiraku Suzuki and Julien Langendorff with Loren Connors
(photo: Amy Mitten. courtesy of Opalnest)

こんにちは、春。NYから帰国して、久しぶりに、そこらへんの木を近くから見たり遠くから見たり、スズメの顔をよく見たりとかしている。(iPhoneの番号など、前と一緒なのでよろしく)

しばらくハードな旅をしていたら、いわゆる故郷ってやつがなくなっていたんだけど。その代わりに地球上の色々な場所というか、もっと全体的なところが故郷っぽくなっていた。生まれてから2歳まで住んだ宮城の家はもうないし、父方の実家がある福島のあの桃畑や、ミミズで釣りをして全然釣れなかったあの河原にもう訪れることはないかもしれない。でも、それでいい。僕はもう大した荷物もないし、ペラペラの軽い紙があれば、どこでも作品を作ることができる。そして作ること自体が生きる現場になってきている。
世界中のどこに行っても、僕が描いた絵をパッと見て「なんか懐かしいワー」と言ってくれる人が時々いる。なんでだろう?なんだろうね。たまに「原風景」ということを思うんだけど、僕にとってのそれは、どうやら特定の場所にまつわる個人的な記憶というより、それこそ絵を描いているときや、街中や、ジャングルの中を歩いているときや、夢の中、音楽を聞いているときなんかに偶然ふと感じ取ってしまう、得体の知れない懐かしさの中にある何かのことだ。脳の裏側の空白部分に光が差し込んで、そこにキリッと立ち上がってはすぐに消えてしまうような、何か胸騒ぎがするような静かな風景を捉えたいし、人の中にあるそういう風景に触れることがすきだ。

人は本当に見たことのないものや、聞いたことのない音に深く触れたときにだけ、場所も時間も超えて、どこへでも行ける。情報と知識のツギハギ構造物に埋もれている、まっさらな目と耳を掘り出して、それを持って一歩外に出ることができれば、誰でも新しい故郷を作り出すことができると思うのだ。
「大人になっても子供の目や耳を持つ」ということじゃない。そりゃ無理ってもんだ。そうではなくて、蓄積してしまった大量の記号を気前よくいったん手放すことで生まれる空白の部分、その瞬間のいびつなカタチを恐れずに、くっきりと感じ取ることが必要なのだ。この時代にゼロからものを作って生きていくというのは、そういうことだ。

Performance Art Journalという、パフォーマンスとドローイングに焦点を当てたNYの雑誌がある。35年もの間この雑誌に携わってきたボニーという編集長は、メレディス・モンク、ローリー・アンダーソン、ジョン・ケージやブライオン・ガイシンなんかが描いた絵を次々と見せてくれつつ、僕のドローイングは全て「post-literature poetry」だって言っていた。ケージの楽譜に近い、とも言っていた。
文学が終わった後の詩、または、言葉を手放したあとにやって来る詩。この視点はナルホド面白い発想だな、と思った。それまで僕はじぶんの絵を、言語の「前」にかつてあったもの、と捉えることはあったけど、むしろ「後」だったんじゃないか。今はそう考えた方がしっくりくる気がした。
かつてモロッコのタンジェで、ガイシンが小説家のバロウズに「文学は絵画より50年遅れている」と言ってカット・アップの手法を教えてから、もう既に50年以上が経っている。僕は文学のことはよく知らないんだけど、僕が描いている架空の言語の痕跡のようなドローイングは実は言葉のずっと後に在って、だから意味が不在であり、いつも肝心の部分が空白なのだろう。
そう考えたら、僕のドローイングの中にある空白が、鏡のように鑑賞者の視線を反射して、それぞれの内面にかつてあったはずの言葉を照らしたときに、人は「この絵が懐かしい」と言うのかもしれないね。
僕の絵にどれも共通しているのはこうした「言語へのサウダージ」だ。それらは未来の視点から、かつてそこにあった言語(=いまここにある言語)を懐かしんでいる「原風景画」なのかもしれない。その状態をボニーは「post-literature poetry」と呼んでくれたのだと思う。

さて、帰国2日前に、ローレン・コナーズという音楽家と一緒に、ライブドローイングをやった。すごくいいライブだった。今までで一番よかった。

この偉大なギタリストの40年近い歩みについては、詳しく知っている人が他にいるだろうし、たった3回しか会ったことのない僕が説明するのはちょっと気がひける。
ただこれだけは言えるんだけど、いまのローレンが奏でる音は、めちゃくちゃ凄い。もう、ギターの音とかじゃない。砂漠で聞こえる風の音のようだったり、地下道の排気口から聞こえてくる音のようだったりもするが、それらとも全く違う。他の何でもなく、地球上でローレン・コナーズの手だけがつくり出せる唯一無二の音景だ。
彼の音は、ゼロ=無音と同じレベルの地平に、ただの1現象としてあっけらかんと放り出される。それでいて、最初の出音から最後の一音が完全に消え去るまで、呼吸をするようにどんどん変化する。耳から遠いずっと後ろから聞こえると同時に自分の体内の深い部分からも聞こえてくる。本当にとことん予測不能で無意味で、つまり自然で、大らかで、ヤバくて、危険で、でもどこか安らぐような、懐かしさを感じる響き。まるで空白が鳴っているような、人間が遠い未来に言葉を失ったとき、音楽はこういう風に聞こえるんじゃないか?というような音なんだ。

最初にローレンと話したのは、ルーレットでの彼のソロライブ終演後で、僕はすでに放心状態だったと思う。彼の数少ない親しい友人である恩田晃さんが紹介してくれたんだけど、杖で体を支えた灰色のスーツ姿のローレンが、穏やかな笑顔で僕の耳にポツリポツリと話しかけてくれたとき、何を言っていたのか、半分くらい分からなかった笑。でも同時に、NYにありふれた「ハロー」から始まるような関係性では絶対に伝わらない部分、言葉そのものではなくて言葉の痕跡の部分が伝わってきて、じんわりした気持ちになった。出会うべき人に出会った時の感覚って、こういうものだと思う。

その後プロデューサーが付き、やはりNYで衝撃的に出会ったジュリアンというパリから来ていたコラージュアーティスト/詩人も誘って、ローレンと僕とジュリアンの3人でヴィジュアルと音とのライブパフォーマンスが実現することになった。
まあ正直ローレンに関しては、ちょっとこんな凄すぎる人、しかも他のアーティストと共演をしたがらない人と一緒に、おれは一体何ができるのか?と思って何度か不安になった。演奏中に突然止まってしまうとか、共演者の音を全く聞かない(聞けない)ことが多々あるという話も聞いていた。でもあまり考えず、いつも通りゼロから即興していけばなんとかなるさ、と思って当日を迎えた。

ライブが始まってすぐ、ハッとした。僕はローレンの音の中で勝手に泳ぐようなイメージで描き始めていたんだけど、気づいたらローレンが椅子から立ち上がって、僕のドローイングを見ていた。彼は、変化していく僕の線や点に反応して、音を出していたのだった。
その時点で、これは今までのライブドローイングとは全く別次元のことをやっているぞ、という感触があった。僕は音と同時に進行する楽譜を書いているようだった。絵と音が、互いにトリガーとなり、時間軸上で寸分違わず進んでいった。感覚がなくなって回路みたいになった手を通じて、僕はローレンの音の全体像を初めて隅々まで深く理解していた。そうして自分でも全く見たことのない絵を次々と描いていた。ローレンの音も、今まで全く聞いた事のない音だった。二人とも、とても自由でたのしかった。時々ジュリアンがポツポツと流れを変えてくれて、またそれがよかった。

30分くらいの間、本当に濃密な時間が発生していた。あの場に居た人は皆、特別な空気を一緒に作って味わってくれていたように感じる。ライブが終わって会場の照明がついた直後、映画監督のジムが興奮しながら僕のところに来て、「なんであんなに完璧に、お前の絵とローレンの音が合っていたんだ?」と聞いてきた。そのときに思った。ああ僕もローレンも、相手に合わせたり互いに頼り合うこともなく、淡々とじぶんのことをやっていただけなんだと。そして僕たちはお互いの表現の中に、鏡を見るように、自分の新しい記憶を見つけて、それを懐かしんでいたんだ、と。
たぶん、こうやって僕はまたこれから、新しい故郷をつくり出していくんだろうなあ。
ローレン、ジュリアン、ヘレン、ジム、アニエスをはじめ、このライブに関わってくれた全ての人達、見に来てくれた人達、そして恩田晃さんに感謝。

Loren Connors, Julien Langendorff, Jim Jarmusch, Hiraku Suzuki
(photo: Louie Metzner. courtesy of Opalnest)