2021/06/11

福島への旅

 




現在いわき市立美術館で開催中の、タグチ・アートコレクション展を見に行った。いわきという場所でやる意義のある、凄みのある展覧会であった。6/25日まで。

展覧会をチラ見して通り過ぎるだけの予定が、気づけば福島民報の記者さんからインタビューを受けて、父方のルーツである福島での幼少期の記憶なんかを思い出しながら、語っていた。祖母に連れて行ってもらった桃園で、採ってそのまま皮ごとかじりついた桃のことだったり、阿武隈川沿いの散歩中に見た光だったり。そんな断片的な記憶を他人に話したのはほとんど初めてだった。学芸員さんや記者さんがその土地に根付いている方々だったから、引き出されたのかも。不意打ちのようにして、場所と人の結びつきを感じてしまった。

原発事故直後から、色々なアーティストがFukushimaを直接的に題材にしてきた。10年が経って、最近はコロナ禍あたりにネタが移ってきている人もいるのかもしれないし、続けている人もいるだろう。いずれにせよ自分がなぜそういうことができなかったのかを再確認した。だから何、というわけではなく、自分のやることをやるだけ。

ともあれ、いわきを出て、海沿いの国道6号線を北上した。舗装されてからまだそれほど日が経っていないアスファルトの道路。富岡を越えたあたりから、大型トラックが多くなってきた。横道に入ると、作業員の方向けの宿泊施設やアパートが多く建てられている。廃炉資料館はコロナで休館。帰宅困難区域の立て看板が増えてきて、許可なしには車で横道に入れなくなってくる。第一原発の上部とクレーンは、道路から肉眼ではっきり見えた。車を停めて歩きながら何かをノートに描いたり、草の生えた道を歩いた。やはり線量が高く、風向きが気になった。それから双葉町に入った。ピカピカの双葉町の駅舎の前に車を置いて、双葉町商店街のあたりを歩いた。どこに行っても、炎天下の中ヘルメットにマスク姿で作業をする方々の姿があった。植物の勢いは凄まじいものがあり、崩れた家屋は緑に包まれて、あちこちで花が咲いていた。それからは浪江の海沿いを歩いて何かを描いたり、もっと北上して小説家の柳美里さんが南相馬の小高に出したフルハウスという本屋にも寄った。穏やかな場所で、粛々と暮らす人たちがいた。

帰りの車の中で、ちょうど10年前に聴いていたHIP HOPのコンピレーションが聴きたくなり、爆音でかけた。この2日間、自分の内側を旅していたように感じた。今帰り道で、忘れないうちにこれを書いている。