2018/06/18

わからない場所についてのメモ1

 2018年6月1日、朱円周堤墓群にて (斜里町)

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何かを発見することよりも、再発見することの方が、重要な意味を持つことがある。

例えば、読むたびに、前に読んだ時よりも意味が深く広がっていくようなテキストというのがあって、すぐれた詩の多くはそういうものかもしれない。吉増剛造さんの詩に触れたりすると、そもそも詩性の本質とはそういった特性と結びついているように思われる。それは、針を落とすたびに、別の音楽が再生される不思議なレコードのようなものだ。ある詩と出会ってから、繰り返し読んだり、一度忘れた頃に再び読んでみる。その過程で、ファーストコンタクトで見えたものとは全く別の風景が脳内に再生される、というのはしばしば起こることである。
このことは、様々に変化したり、積み重なったり、結びつき合ったり、勝手に流れて行ったりする人間の記憶の流動的な構造と深く関係しているように思う。一度来た道を2度3度と繰り返して辿るうちに、ズレる記憶がダブのエフェクトを引き起こし、記憶の周囲にエコーが発生し、増幅され、風景が変わって見えるのだ。そしてその景色もまたひとつの現実として、記憶のレイヤーに組み込まれ、次のエコーを準備する。

いま、場所について考えてみると、僕が何度も行きたくなる場所というのは、一度では把握できない、「わからない」場所であることが多い。それは必ずしも地図上の遠い見知らぬ土地のことではない。情報量が多い、ということとも少し違う。
例えば、ふと風の匂いや湿度を意識してしまうような、何か小さな自然音に聴き耳を立ててみたくなるような、地面に落ちている枝の配置が気になってしまうような、胸騒ぎがするような、でもシーンと澄み切った静かな気持ちになるような、それら全てを一瞬のうちに行ってしまえるような場所のことである。
具体的には、風景に残された何かしらの人間の行為の痕跡によって、ある記憶が時間を超えてとどめられている遺跡のような場所に立ったときに、微かなエコーを感じることがある。その空間に確かに存在する遠い記憶の気配の中に自分の身体を配置することで、現在の自分の内側の記憶とそれらが結びつき、全く新しい輪郭を持って目の前の風景が立ち上がる。というより、自分の内側から未知な何かが引き出されるような感覚をおぼえる。
そういう時は、ああやっぱり世界はまだまだ謎に溢れているんだ、ということを謙虚に確認して安堵するのと同時に畏怖の感覚があり、全身の知覚が一度解けてからフレッシュに再編されるようで、自分の輪郭をクッキリと認識する。場所を知ろうとすることは、つまり自己を知ろうとすることなのかもしれない。

イタロ・カルヴィーノの小説「見えない都市」の中で、王であるフビライ汗は、世界を旅したマルコ・ポーロに「お前は過去をふたたび生きるために旅しておるのか?」と質問を投げかける。そして、その言葉は同じ意味で、こう言い換えられるのである。「お前は未来を再発見するために旅しておるのか?」と。

少し前の数年間は海外で狩猟採集民のように旅を続けていた自分が、2014年に完全に日本に戻り、限りなく定住に近いスタイルへと生活を反転してみる大実験を行ってから、初めて視線の先にチラチラと浮上してくる場所があった。ずっと前から知っていると思っていた場所、常に様々な複雑さを孕みながら、何度でも再発見できる場所、再発見されるのを待ってくれているようにさえ思える場所。それが、(日本の東北に生まれてすぐに別の地で育った)自分にとっての、現時点での「北」のイメージである。

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先月の2018年5月31日(木)から6月9日(土)の9日間、北海道の東は釧路から、南西の函館まで、約2000kmの距離を車で横断した。目的は、環状列石(ストーンサークル)を始めとした、旧石器時代〜縄文〜続縄文〜オホーツク文化や擦文〜アイヌまでの遺跡を回ること。これまでも数えきれないほど足を運んできた北海道の地であるが、今回は各地で旧友と再会しながらも、ほぼ一人で8箇所の環状列石、無数の遺跡や貝塚やその資料館、フゴッペと手宮の洞窟壁画、黒曜石の産地などを回り、そこに立ってみたり、屈んでみたり、穴に入ったり、iPhoneで写真を撮ったり、資料を集め、メモやドローイングを続けていた。またそこから派生して、遺跡などとは関係のない様々な場所にも訪れ、とにかく歩き、貝を食い、温泉に入り、適当な民宿に泊まったりした。また、今月後半に青森と秋田の環状列石を再び巡る予定である。
北海道と東北には、今後も長期的にしばしば足を運ぶことになるだろう。短期的なアウトプットとしては、写真家の石川直樹くんが誘ってくれたプロジェクトでこの秋頃に少し発表できればと考えているのと、自分が生まれた地である仙台市の宮城県美術館で、来年2月に開催される展覧会に何らかの形で反映させたいと考えている。(ちなみにまだちゃんと読んでいないが「日本の深層―縄文・蝦夷文化を探る」を書いた哲学者の梅原猛氏も、仙台で生まれ、すぐに別の地に引っ越して育ったそうだ。)
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2018年6月2日、音江環状列石付近の看板(深川市音江)

2018年6月4日、曽我北栄環状列石(ニセコ町曽我)

2018年6月5日、アイヌ遺跡「アフンルパル」付近 (白老町)