2013/05/27

DRAWING NOW PARISについてのメモ

Hiraku Suzuki "casting" installation view at Galerie du Jour / DRAWING NOW PARIS 2013, Carrousel du Louvre (Paris, France)

ロンドンでの個展が終わり、今年3回目のイギリスからようやくドイツに戻ってきた(マッスル&涼子、いつもありがとう)。
ベルリンの春は変化が早い。4月の時点ではまだグレーで化石みたいにヒンヤリとしていた町並みを覆い尽くすように、緑がモリモリしている。リスがトコトコ歩いている。レゲエ好きがウロウロしている。どこか昔の日本の田舎町のようでもある。

さて、4月1日、初めてギャラリーに所属っていうのをしてみた。古い友人のアニエスがパリでやっている、ギャラリー・デュ・ジュールである。
http://www.galeriedujour.com/artistes.html

アニエス・ベーこと、アニエス・トゥーブレはファッションデザイナーとして知られているが、コレクターでもある。ヴェルサイユの森の中にある、楽園のようなアニエスの家に行くと、バスキアやマン・レイやハーモニー・コリンなど、彼女がこれまでに深く関わってきた作家達による大量の絵や写真が、本当に自然な状態で、当たり前のように壁中に飾られている。そこでは持ち主のアニエスがニッコリしているから、作品達そのものもリラックスしているように見える。まるで絵達が生きていて、モロッコ産のハシシでも吸いながら籐の椅子に腰掛けてオウムと会話しているような印象をうける。というのはバロウズの記録映像のイメージだけど。ちなみにバロウズの「裸のランチ」をパリで最初に出版したのがアニエスの元旦那であり、ギャラリー・デュ・ジュールの創設者の一人であるクリスチャン・ブルゴワ氏だ。アニエス・ベーのb.は、今は亡きブルゴワさんの頭文字なのである。

アニエスはじぶんでも写真や映画を撮ったり、もともと美術館の学芸員になる勉強をしていた人だから、このギャラリーのキュレーションにも熱心に関わっている。
どんなギャラリーかと言うと、まず、あまり売る気はない笑。たぶん自分が買いたいのだろう。いつもシャンパン飲んでる。パーティーではジョナス・メカスがカメラを回してたりする。そのジョナスはじめ、ケネス・アンガーやハーモニーなどの映像・写真のアーティストの他、僕もNYで一緒にライブしたノイズミュージシャン/詩人でもあるジュリアン・ランゲンドルフとか、バロウズが好きでモロッコの血を引くカデール・ベンチャマといった、絵を描いている同世代の友人達もいる。みなどこかつかみ所がなくて、現実離れした、神話に出てきそうな人達ばかりだ。
僕は一人で絵を描いているとき、たまたま現代に生まれてしまっただけの原始人/宇宙人のような彼らの存在をふと思い出して、親愛の情と共に、意味不明な笑いがこみあげることがある。

そんなギャラリー・デュ・ジュールが、DRAWING NOWという、世界中のドローイングのギャラリーがルーヴル美術館の地下に集まるフェアに出すと言うので、どんなもんかね?と、ロンドンとベルリンの往復の合間を縫って、4日間だけまたパリに行ってきた。

それはとても大きなフェアだった。ピラミッドの下を抜けて広い地下会場に入ると、大小・新旧、様々なギャラリーのブースがひしめいていて、デパートみたいに賑やかだった。みな最先端のドローイングの試みを紹介したり、情報交換にビジネスにと、目眩がするような熱気に包まれていた。ドローイングって流行ってるんだなあ、とか、いろんなドローイングの方法があるんだなあって思った。その一番奥の一角に、オオサンショウウオのように、ギャラリー・デュ・ジュールのブースが佇んでいた。

死んでいる人や生きている人の作品。まずブース正面に、テープでつないだ紙切れの上に女性の横顔を描いたアンディ・ウォーホルの絵が2枚。その左横に、僕のシルバーの作品。さらに横にジュリアンが描いた、点描とスプレーによる作品。ハーモニーの、シンプルで正直な絵が3枚。今とてもアート界で活躍しているカデールの新作はさすがという感じがしたが、「ダーク・マター」というタイトルの謎めいた作品だった。配置はアニエスがぜんぶ決めたという。
なんかここだけ空気が違うぞ、というのは誰の目にも明らかだったと思う。全くの感覚的な領域で、アニエスの夢の中のような、壮大なギャグのような展示が繰り広げられていた。スタッフは僕が見る限りシャンパンを飲んだりキスしたりしていただけだった。ほとんど値札がついてなかったし。

でも、僕にはなぜかこの空間がとても心地よくて、全体の中でむしろ一番オーガナイズされているように感じた。ここには現代、とかドローイング、というポイントでは絶対に割り切れない
、摂理のようなものがあった。生き様、とか言っちゃうと大げさだし正確ではないが、何かが生まれてから死ぬまでの時間や、作家が死んでからまた何度でも生まれ直す作品の時間の複雑さを丹念に愛でるような、アニエスの「記憶」に対する透徹した眼差しがあった。

「シルバーはかつて、未来だった。それは現実離れしていた。宇宙飛行士は銀色の服を着ていたし、持ち物も銀色だった。そしてシルバーは過去でもあった。ハリウッドの女優は銀幕で写真を撮られていたし。シルバーは、全てを消し去るんだ」―アンディ・ウォーホル

僕は4歳の頃からしばらく、夢を図形で見ていた。どこまでも続く光の直線が宇宙空間の中に浮かんでいて、その線が長すぎて端と端が見えない、というような抽象的で切ない夢を見ては、夜泣きしていた。永遠に続く直線というのは、自分にとって死よりもずっと恐いイメージだった。で、おばあちゃんに慰めてもらったりしていた。たぶん、すべての線には必ず始まりと終わりがあるっていうことを、確認したかったのだと思う。
だから、おばあちゃんが僕の生まれ故郷である仙台で亡くなったとき、悲しかったけど、どこか腑に落ちたんだと思う。

今回、アニエスに黒いスーツをもらったから
、それを着て彼女のオフィスに行った。二人でアンリ・カルティエ=ブレッソンのモノクロ写真を眺めながら、ゆっくり話した。いつも通り「私はあなたをストリートで見つけたと思ってるからね」と言われて、僕が中途半端なB-BOYだった時のことを思い出して笑った。2月にインドで描いて燃やした「文字の部屋」という作品の写真を渡した。薄暗い部屋でブレッソンの写真の前に立つアニエスは、ヴェンダースの映画「ベルリン・天使の詩」に出てきそうで、なんというか、向こう側とこちら側を行ったり来たりしているように見えた。

「写真は反射であり、ドローイングは瞑想である」—アンリ・カルティエ=ブレッソン

DRAWING NOWに参加してみて、もちろん有意義な場だとは思ったが、僕個人はドローイングという形式自体や、NOWという括り方にはほとんど何の興味もないことがハッキリ分かった。それよりも、ギャラリー・デュ・ジュールという時間と空間に、じぶんの現在進行形のドローイングが少しだけでも入っている事実がとても不思議で、面白いことだと思った。

iPhoneで撮った、Galerie du Jourブースで展示されていた他の作品のディテールを少しここに貼っておく。

Andy Warhol
アンディ・ウォーホル
Abdelkader Benchamma
(アブデル)カデール・ベンチャマ
Julien Langendorff
ジュリアン・ランゲンドルフ
Harmony Korine
ハーモニー・コリン