「ハラショー!」
ウクライナ人アーティストのヴィクトリアが叫んだ。僕も手を叩いて笑った。ダイニングルームに迷い込んでいた1匹のコウモリが、ようやく窓の外に逃げてくれたからだ。
ここは南フランス奥地の村、ケリュにある「ドロー・インターナショナル」というアーティスト・イン・レジデンス。ケリュ自体は古代から時間の流れが変わっていないような、画材を買おうと思ったらバスと電車を乗りついで丸一日かけて街に行かなければいけないような村だ。しかしそんな僻地に、世界各地からドローイングを専門とするアーティストが集まり、半共同生活をしながらそれぞれ制作や研究に勤しむ。英語やフランス語を話せない人もいるが、ドローイングと地元産ワイン2、3杯でコミュニケーションは成立しているから安心だ。12世紀に建てられた石造りの建物には数名用の部屋とスタジオが入り、ギャラリーも併設されている。ゴツゴツとした岩壁に囲まれた空間は昼でも薄暗く、キッチン横のダイニングはまるで洞窟であり、夕方になるとアーティスト達だけでなくコウモリも集まってくるというわけだ。
僕がここに来た目的も、実際の洞窟に入って旧石器時代の壁画をスケッチして回ることだった。2023年秋に大きな個展がオープンし、同時に初のエッセイ本が刊行された直後。人生で最も多く描いたり書いたりした時期に、膨張し切った自分の内側の線のアーカイヴを一旦空っぽにして、ゼロから再編したかった。それでまず「かく」行為の始まりの痕跡に触れたいと思った。壁画といっても、僕の興味があるのは有名な動物の絵ではなく、絵と文字の間にある記号だ。かつて人類にとって「描く」と「書く」は分かれていなかった。その頃に洞窟の壁や天井に刻まれた記号のほとんどは、未だ解読されていない。そうした記号的壁画は世界中にあって、日本にも北海道のフゴッペと手宮という二つの洞窟に、続縄文時代の線刻が残っている。象形文字や、鳥の羽をつけた宇宙人にも見える特徴的な記号は、現在のロシアのアムール川流域の洞窟内でも数多く発見されている。意味は完全には解明されていないが、海を越えて「かく」ことを通したコミュニケーションがその頃に存在したのは間違いないようだ。
コンバレル、フォン・ド・ゴーム、ラスコー、また最近発掘されたフォアザックなど、フランスの洞窟の数や規模は途方もない。数万年前にかかれた無数の線たちが、立体物として、現実の光と影のコントラストとしてそこにある。クマの引っ掻き傷を真似たり、チューブ状の動物の骨を通して口から顔料をスプレーしたり、もとの岩の凹凸を活かしながらの構成、そこに線を入れていくテクニックとセンスには息を呑む。いやーすごい。仮に現代のグラフィティとして捉えてみても全く古くない。いや、新しい。刻まれた未知の線にできる限り近づいて、折りたたんでポケットに入れた紙の束にスケッチしていく。一瞬、線の集合体から、自分が過去にかいたことのあるような線を目で追っていることに気づくと、それをやめて目をリセットするように心がけた。しかしいくら知らない線を探っても、自分の手で紙の上にかいてみるとやはり「知っている」としか思えないのだ。内側の記憶に蓄積された線を手放そうとすればするほど、空白に光が差し込んでくるように、既にそこにある線への懐かしさを感じた。
これまで時々、僕のかいた意味不明な記号をパッと見て「懐かしい」という人たちがいた。15年前にブラジルで展示をしたとき、ある人に「サウダージ」という語に秘められた意味を教わった。それは「空白」に対する、胸を掻きむしられるような懐かしさである。対象は既になくなってしまった何かだけではなくて、実在しない故郷や架空の記憶、そしていずれ未来に失われてしまう物事に対しても、この感情は確かに発動する。もしかすると、僕のドローイングが湛える意味の空白が暗号として、誰かの内側にある空白の形と符合し、鏡のようにその人の架空の原風景を映し出すことがあるのかもしれない。原風景といっても、特定の時間や場所のことではない。初めて聞く音楽の質感や、初めて行った場所で吹いた風の匂い、夢の途中で見た見慣れない看板の断片に触発されて、一瞬だけ脳の裏側にキリッと立ち上がっては消えてしまう、何か胸騒ぎがするような静かな風景だ。僕は人の中にあるそういう風景に不意打ちのように出会ってしまう瞬間が好きだし、かくことによってそれを捉えたい。だから線と出会うようにかく必要があるし、次にかく線が常に一番新しい。かく人間にとって、懐かしさは過去ではなく、未来に属しているのだ。
僕のケリュ滞在最後の週末、アーティスト友達数名と車を出して、最も好きな洞窟のひとつ、ペシュメルル洞窟に行った。地下深くに広がるこの美しい鍾乳洞には、約二万五千年前にかかれた手形(ネガティヴハンド)がクッキリと残っている。吹き付けられたマンガン鋼の漆黒の真ん中に、手の形がぽっかり空いている。その空白は本当に時空を超えている。手を伸ばしたら握手できそうだ。それは宇宙人の手かもしれない。ナイス・トゥ・ミーチュー。でも前に会ったことがありましたっけ?
どこまでも続くような暗闇の回廊を通り抜け、地上の出口へと向かう狭い階段を登りながら、それまでほとんど黙っていたヴィクトリアが「ノスタルギーア」と言った。それはウクライナ語か、もしくはロシア語だったのか。戦時下の祖国を離れて過ごす彼女にとって、どのような切実さが含まれているのかは分からなかった。しかし彼女の一言の響きは、僕の「懐かしさ」の感情に新しい襞を深く刻んだ。