2023/10/31

ティム・インゴルドさんとの応答を終えて






昨日のティム・インゴルドさんとのドローイング・ダイアログは、豊かな時間だった。関係者のみなさんに心から感謝したい。
僕は同時通訳を介して聞き、日本語で話し、英語で書き、非言語の線を描く。これはちと難しい設定だったな、と序盤は感じたが、線が助けてくれた。ティムさんは枝やスプレーを使ったり、伸び伸びと描いて/書いてくれた。最終的にはお互い、インターメディアとしてのドローイングを通した対話を楽しんだ。即興ならではのスリルもあり、いい瞬間がいくつか生まれていたのでは、と思う。
ドローイングにおけるマークとラインの違いなどもっと踏み込んで話したかったが、それはまた次回に。
最後、ティムさんが「これからもコレスポンダンス(文通・呼応・応答)を続けよう」と仰ってくれた。それは祝福の言葉だ。綺麗事を言うつもりもないが、もう本当にバトルとかしている場合じゃないので、もっとコレスポンダンス=インスピレーションの交換をして、壁に穴を開けていこう。インスピレーション(inspiration)とエクスピレーション(expiration)は、スピリット(spirit)が出たり入ったりすることだ。そこに立場は関係ない。
昨日のことはまたゆっくり振り返りたい。いずれアーカイヴも何らかの形で出せるはず。
とにかく多くの方に、ティムさんが帯を書いてくれた僕の本の、最後の章「ドローイングと対話」を読んでいただけたら嬉しい。



















2023/10/17

ケリュにて

  






南フランスの奥地にある小さな村、ケリュに来てから3週間以上が経った。
死ぬほど気合いを入れた個展と本が同時に世に出た瞬間、つまり人生最大時速が出た直後に、この時間の流れが古代からほぼ変わっていない僻地にカットインしてきたわけだ。
最初、この急激なコントラストには我ながら焦った。フランス人の友達に聞いても皆「え、それどこ?」と言うような村の、12世紀に建てられた洞窟のような建物に荷物を下ろす。部屋にコウモリが飛んできた時は、「やべぇ」と声も出た。
しかしようやくこの場に馴染んできた。いや、むしろ心地良くなってきたので少しメモしておく。

ここにはDRAW internationalという、ドローイングに特化したレジデンスで、世界各地から集まった3~4名のアーティストがキッチンを共有して生活し、それぞれのスタジオで制作している。僕はここを拠点にして、色々な洞窟の中に入り、旧石器時代の壁画をスケッチして回っている。
フォアザック、コンバレル、フォン・ド・ゴーム、ラスコー、ペシュメルル、、、数万年前にかかれた無数の線たちが立体物としてそこにある。クマの引っ掻き傷を真似たような線、叩いたり刻んだり、動物の骨をストローのようにして顔料を吹き付けたり、両手をステンシルに使ったり、岩の膨らみを利用するなどのテクニックや、空間的な線の間合いのセンスには息を呑む。いやぁ本当にすごい。全く古くない。
それらにできる限り近づいて、ポケットに折りたたんだ紙にメモしていく。膨大な線の集合の中から、一瞬、自分が既に知っている線を目で追っていることに気づくとそれをやめて、目をリセットするように心がけた。何か、今まで自分がかいてきたものをものすごく反省したり、逆に勇気づけられたりもした。
それでスタジオに戻って何かをかいてみる。今までかいたことのない何か。こうやって自分の内側の線のアーカイヴを再編しているのだろう。こっちに来て、今までかいてきたものはまだ助走に過ぎないと確信した。それは安心することだ。
月末に帰国したら、なるべく群馬の個展会場に居たいと思う。
ポートレイトは友達になったウクライナ人アーティスト撮影




















2021/06/11

福島への旅

 




現在いわき市立美術館で開催中の、タグチ・アートコレクション展を見に行った。いわきという場所でやる意義のある、凄みのある展覧会であった。6/25日まで。

展覧会をチラ見して通り過ぎるだけの予定が、気づけば福島民報の記者さんからインタビューを受けて、父方のルーツである福島での幼少期の記憶なんかを思い出しながら、語っていた。祖母に連れて行ってもらった桃園で、採ってそのまま皮ごとかじりついた桃のことだったり、阿武隈川沿いの散歩中に見た光だったり。そんな断片的な記憶を他人に話したのはほとんど初めてだった。学芸員さんや記者さんがその土地に根付いている方々だったから、引き出されたのかも。不意打ちのようにして、場所と人の結びつきを感じてしまった。

原発事故直後から、色々なアーティストがFukushimaを直接的に題材にしてきた。10年が経って、最近はコロナ禍あたりにネタが移ってきている人もいるのかもしれないし、続けている人もいるだろう。いずれにせよ自分がなぜそういうことができなかったのかを再確認した。だから何、というわけではなく、自分のやることをやるだけ。

ともあれ、いわきを出て、海沿いの国道6号線を北上した。舗装されてからまだそれほど日が経っていないアスファルトの道路。富岡を越えたあたりから、大型トラックが多くなってきた。横道に入ると、作業員の方向けの宿泊施設やアパートが多く建てられている。廃炉資料館はコロナで休館。帰宅困難区域の立て看板が増えてきて、許可なしには車で横道に入れなくなってくる。第一原発の上部とクレーンは、道路から肉眼ではっきり見えた。車を停めて歩きながら何かをノートに描いたり、草の生えた道を歩いた。やはり線量が高く、風向きが気になった。それから双葉町に入った。ピカピカの双葉町の駅舎の前に車を置いて、双葉町商店街のあたりを歩いた。どこに行っても、炎天下の中ヘルメットにマスク姿で作業をする方々の姿があった。植物の勢いは凄まじいものがあり、崩れた家屋は緑に包まれて、あちこちで花が咲いていた。それからは浪江の海沿いを歩いて何かを描いたり、もっと北上して小説家の柳美里さんが南相馬の小高に出したフルハウスという本屋にも寄った。穏やかな場所で、粛々と暮らす人たちがいた。

帰りの車の中で、ちょうど10年前に聴いていたHIP HOPのコンピレーションが聴きたくなり、爆音でかけた。この2日間、自分の内側を旅していたように感じた。今帰り道で、忘れないうちにこれを書いている。














2020/07/22

新しい線を思い出す



この春頃から、自然の線をなぞることが増えた。庭に植えたゴーヤの茎の線を辿ったり、遠くの山の稜線をなぞったり、小石を転がしてその軌道を追ったりする。時には、4歳の娘と一緒に描いたりもする。そうしていると、全ての線が何かと何かをつないでいることがよくわかる。何かを新しく学んでいるようで、思い出しているような感覚がある。描写するのではなく、ただ目や手を動かしてなぞることで、線を身体に入れる。すると同時に、身体の中からも線が出てくる。それらの線は、双方向の触手のように自分を自然とつなぎとめ、宇宙全体の揺らぎの中に位置付けてくれるのだ。

一方、人間社会の中だけに限って見ると、全ての線は境界線であり、いつでも何かと何かを分断している。あらゆる問題を引き起こしているのは、この分断の線である。目に見える線だけではない。国境も、性別も、人種も、宗教も、思想も、芸術でさえ、見えない境界線で隔て、固定しようという力学が加速している。時間と空間に張り巡らされたこの境界線の間で、ワームホールのように、どこかとんでもなく遠くへとつながる回路を作る必要がある。

僕が今回ドローイングを行うのは、東北芸工大の能舞台である。周りを水で囲まれた能舞台は、開放的な空間でありながら、ミニマルに閉じられた静寂の場所でもある。正方形の舞台の柱の間から、遠くに山々の稜線が見える。そしてほぼ正面にあるのが、以前僕が登山しながら線を体内に入れてきた月山だ。

今回は、山伏の坂本大三郎さんの協力を得て、ドローイング前日に、月山に転がっている小石を拾ってくることになった。実際の小石を5m四方のキャンバスの上に配置し、それらを起点として、そこから何か線を発掘するように描いてみたいと思っている。発掘とは、今ここに潜在している未知を思い出す、ということだ。
遠くの場所へ移動するのではなく、今ここで深い渦を巻くことで、どこまで遠くへ行けるか。何に触れられて、何に触れられないのか。今はまだ何も分からないが、少しでも新しい線と出会うことができれば、と思う。
終わったら、小石は月山に返す。





2020/04/04

メモ

studio view, April 4, 2020
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かつて「言語はウィルスだ」と言ったW.S.バロウズは、いまのSNS時代を予見していたのだろうか?
どちらも目に見えないし、どんどん新型が生まれる。そして爆発的に拡散して、人体や社会のシステムの根本に致命的な影響を与える。

今起こっているのは”ちゃぶ台返し”で、笑いとシリアスが反転するように、ゲームと日常が反転している。オリンピックも経済も(一部のアートも)基本はゲームだから、こうなってしまうと土俵がない。いくらゲームで勝っても、死んだら元も子もないし。やり切れないが、進化しなければいけないんだろう。

では新型言語とはどのようなものだろう?
バロウズとガイシンの実験は、言語を粒子状に解体し、再接続させることから始まった。それはゲームのようでゲームを反転した、生存戦略だったのかもしれない。
ともあれ。写真は今日のスタジオ、2020年4月4日


2020/01/08

ドローイング・オーケストラについてのメモ

鈴木ヒラクと大原大次郎による打ち合わせ@美学校, 東京(2019年11月29日13時-14時)
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去年の夏、デザイナー、と言っていいのか、「文字の人」である大原大次郎が、東京の場末にある僕のスタジオに遊びに来てくれた。また別の「文字の人」であり書家の石川九楊先生の直弟子でもある、大日本タイポ組合の塚田哲也さんが連れて来て、意気投合、楽しい時を過ごした。そこでの雑談で、今回のイベントは着想された。

Invisibl Skratch Piklzという1990年代を代表するスクラッチDJ集団達は、大人数でターンテーブルをズラリと並べ、同時にレコードを擦りまくった。大原大次郎も僕も、彼らがやっていたことに新しい空間性の爆発的な萌芽というか、何か重要なヒントを感じ続けてきた。「レコードは書だ」と言ったのは石川九楊先生だが、スクラッチは「引っ掻く」だから、つまり彼ら(QBert達)は「書いて」いるのだ、しかも同時に。これをドローイングに置き換え、複数の「かき手」の同時にかく(描く/書く/掻く/欠く/画く)行為をミックスしたらどうなるのだろう?8人くらいの手元を書画カメラで撮影し、そこにマイクをつけて音も拾って、映像と音でミックスしたら?

この壮大な思いつきが、この半年間、膨大な準備/テスト/物流/書画カメラの買い占め、などをもたらした。時には書画カメラ8台に押しつぶされそうになったりもした。
これまで、2台の書画カメラを使用した対話型のイベント"Drawing Tube"は継続的に行ってきて慣れているのだが、全く異なるシステム構築が必要だった。が、映像の岸本智也の技術とアイデア、会場側の東京都現代美術館のサポート、そして8名の「かき手」のモチベーションによって、なんとか現実的に実験を行えそうなところまで漕ぎ着けた。

僕以外に、大原大次郎(タイポグラフィー)、カニエ・ナハ(詩)、西野壮平(写真)、ハラサオリ(ダンス)、村田峰紀(パフォーマンス)、やんツー(デジタルメディア)、BIEN(グラフィティ)、といった様々なバックグラウンドを持つ、可能性にあふれた「かき手」たちが集まるだけでも面白そうだ。
でもポイントは、単に突出した個性を並べて、ジャンルを越える、といったことじゃない。それらの手による行為が時間と空間の中で併走しながら、どのように呼応することができるのか?互いの関係性の中で、単に主体的行為の結果としての線を超えた、新しく大きなエコーを生み出せるか?という実験である。
今回僕はあまりかきませんが(ミックスするので)、この実験をぜひ多くの方に見届けて頂ければ嬉しい。







2019/10/22

テキスト

MOTアニュアル2019 Echo after Echo:仮の声、新しい影 2019|会場: 東京都現代美術館|写真: 森田兼次
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 20年前に、拾った枯葉の葉脈で最初の記号を描いた時から現在に至るまで、自分にとって作ることは、世界を新しく把握し直すための発掘行為であり続けている。もっと遡れば、採取した環境音を素材としてダブと呼ばれるような音楽を作っていた頃から、それは始まっていたのだろう。

 しかしある時点で、既にある世界の断片を発見したり再配置するだけではダメで、もうひとつ別の言語を作る必要があると気づいた。それで世界の欠片自体のねつ造を試みるようになった。それはキスよりも先にキスマークを存在させるような行為であり、いつも意味よりも痕跡が、物質より反射が、ポジよりネガが先に来る。

 音の痕跡だけで作られたアーサー・ラッセルの音楽作品「ワールド・オブ・エコー」のように、ダブという手法は、かつてあったはずの/これからあるはずの世界を暗示するのだ。

 それで自分は、シルバーなど、光の現象によって物質性や意味を一旦消し、ものごとを反転させるようなメディウムを使い始めた。例えるなら、それまでは路上で拾った針穴から外の光を覗いていたのが、今度はその針穴に外から光の糸を通すようなベクトルが生まれたわけだ。

 そして最近は、描く行為の集積が、だんだんと「織る」行為に近づいてきた。瞬間的な即興の身振りによって次々に生まれる記号の断片が撚り合わされ、ある秩序が、織物のように浮かび上がってくる。つまり、別の言語を使って長いテキストを書くような試みが始まったと感じている。

Interexcavation #02 (detail)


2019/09/08

今描くことについて

at Galerie Chantier Boite Noir (Montpellier, France) photo by Christian Laune
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灼熱の南仏、モンペリエに来て10日。最初の2日は街をうろついたり、地中海で軽く火傷したりしつつも、結局はただ描きまくる日々を過ごしている。先週は洞窟のようなギャラリーの壁に、そして昨日からはMO.CO.Panaceeという美術館の壁に。今回は、いくつかの石を壁に設置して、それを起点として描き始める、という新しい取り組みをしている。
以前ヨーロッパに住んでいた頃は当たり前だった自炊生活をして、昼は暑さでボロ雑巾みたいになりながら、1日2,3回シャワーを浴び、ただただ描きまくって洗濯して寝る。朝は開けっ放しの窓に近所から流れ込んでくるボブ・マーリーで目覚め、また描きに行く。思えば、昨年末に東京に新しいスタジオを作ってからしばらく篭って制作していたため、3週間以上の海外での滞在制作はとても久しぶりだ。そんな中、やはり確信するのは、自分は場所や時代が変わってもとにかく描いて生きていくのだ、という単純な事実である。

大切なのは、常に新しい起点を見つけ、それに駆動されようとすること。決して、同じ形を繰り返さないこと。知ったつもりになって同じ形を繰り返すのはダサいだけでなく、危険である。かと言って、真新しいアイデアを思いつこうと努力するのも違う。自分がやるべきことはいつも、ここまで進んできた道の2m先の地面に落ちている。ふと見ると、ゴミや犬の糞に混ざって、丁度いいサイズの小石があったりする。前や上ばかり向いていたらそれらのヒントを見過ごす。

尊敬する友達と馬鹿話をしたり、真剣に議論して、悩みや喜びを分け合って抱きしめて別れた、ヒンヤリとした夜の帰り道に、そういうものを見つけたりする。しばらく聞いていなかった音楽の中や、長らく閉じていた本をふと開いた時に、何かを新しく見つけることもある。

そこからまた描き始める。対象の表面を触り、匂いを嗅ぐ。耳を澄ませる。変化し続ける目の前の風景の、ただ一点に集中する。たっぷりと鉱物の粉を含んだシルバーマーカーの芯の先端。そこは全てが反転する矛盾の場所でもある。まるでそこ以外に生はないかのようなその一点、その瞬間に止まりながら、どこまで遠くへ掘り進められるか。

それは同時に、今ここから離れた遠くの場所で起こっていることや、今ではない過去の時間に起こったこと/これから先に起こり得ることにヴィヴィッドであろうとすることを意味する。日々のニュースが精神の底に鋭く重く沈殿する。でも、その痛みも掘り進むための原動力になっている。新しい方法で世界を把握するための別の言語を作るには、淡々と進めていくしかない。

マーカーの先から生まれた点が動き、線になる。上空から見た川のようだ。水面が光を乱反射している。近くに人影が見える。川辺で文字が発明され、新しい文明が始まった。一瞬、自分の子供の頃の記憶がチラつく。言葉を覚える前の記憶。さらに線は地層の奥へと進み、人間以外の世界、鉱物、惑星の記憶、そして未だ来ていない記憶を辿る。
全ての点と線の軌跡の集積が、光を反射して、網膜に残像を焼き付けていく。
シルバーのインクは、架空の銀塩写真の現像液なのかもしれない。それは過去ではなく、常に今を現像し続ける。

at MO.CO. Panacee (Montpellier, France) photo by Reno Leplat-Torti


at Galerie Chantier Boite Noir (Montpellier, France)




2019/03/22

傾斜の話/輪郭線を思い出す

still from "Recollection of the Contours", single channel video, 16min 31sec(loop)
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僕の最初の記憶はたぶん、坂道の光景である。それを思うようになったのは最近のことだ。
昨年末に引っ越してきた新しいスタジオの裏手が急勾配な坂道になっていて、そこを下り切ると谷底に湧き水がある。住所は一応東京なのだが、野生のクレソンが生えていて、沢蟹や、蛇や、シラサギがそこらを歩いていたりもする。最近は、制作に煮詰まった時などはこの谷に下りて、散歩したりスケッチしたりして過ごすことが多い。
先日の午後に、いつものようにこの坂道を下りていた時に、突然、2歳まで住んでいた仙台の自宅の前の長い坂道の光景がふと浮かんで、しばらく立ち止まってしまった。道の両側に小さな家が立ち並ぶ、何の変哲もない住宅地の光景。ブロック塀、植え込みや、電信柱を、低い目線で見ていた。ずっと忘れていた、38年ほど前の午後に全く別の坂道で見た午後3時くらいの強い光が、そのままの温度や湿度を伴って今の体内の奥の方のスクリーンにくっきりと映し出され、自分でも驚いた。

例えばニューヨークや京都のような平坦な都市の中心地に居る時、自分の居場所が分からなくて不安になることがあった。通りの名前を覚えたり、Google Mapsを見ることでそれは解決されるのだが。逆に、坂道の多い都市を歩き回る時は、地図や文字情報がなくとも位置関係を把握しやすい。どの店がどこにあり、ここから行くにはどれくらいの距離と時間を要するのかを直感的に想像できる。荒川修作+マドリン・ギンズの「養老天命反転地」ではないが、坂道というものは身体感覚と記憶を覚醒させる装置なのだろう。実際に、坂道を登ったり下りたりする時には、平地では忘れていた、何か自分の身体の深い部分と向き合うような感覚が生じる。身体の底に眠っていた記憶が引っ張り出されて、現在に刻印されるというのもあり得る話であろう。

おそらく、トリガーになっているのは「摩擦」だ。傾斜と重力によって、地面と足裏の接地点には摩擦が発生する。つまり平地では起こり得ない双方向的なベクトルが生まれる。それは地中から上がってきて身体の内側へ潜っていこうとする力学と、身体から下に向かって地中深くへと潜っていこうとする力学の二つの拮抗である。この二つのベクトルの緊張状態が、場所と身体の記憶を引き出し、結びつけるのかもしれない。この引き出し合いの構造は、描くこと/書くことの起源である、対象を引っ掻いて痕跡を残すという行為の中で働いている双方向的な力学とも通じる。やはり歩くことは、描くことにも書くことにも似ている。

さて、昨年の初夏、両親共に東北人である自分のルーツへの関心から、北海道と東北各地に点在する、主に縄文時代に作られたストーンサークル(環状列石)の調査を行ない、写真・ドローイング・テキストで記録した。ストーンサークルの付近には、住居の遺跡や貝塚や洞窟壁画といった文明の痕跡がしばしば存在する。面白いのは、青森の小牧野遺跡や北海道の西崎山環状列石・北黄金貝塚のように、それらの多くは見晴らしと水はけの良い、遠く海を望んだ斜面に作られているという事実だ。彼らは、やはり坂道を選んで生活や祭祀の拠点を作ったのである。
僕はとにかく古い書物を読むように、レコードを再生するように、ストーンサークルの周りの斜面をぐるぐると歩き回りながら、石の配置と輪郭を見て、その図形を身体に刻み込んでいた。それは個人の記憶を超えた、ある普遍的な記憶を通して、自分自身の輪郭を再発見するような時間でもあった。

さて今回、生まれ故郷である仙台の宮城県美術館で初めて展示をする機会をいただいた。この美術館自体が斜面に建てられている。自分が2歳まで住んでいた、まぎれもない、八木山の斜面である。そこで、昨年の環状列石のフィールドワークを思い出しながら、ささやかな映像作品を制作した。書画カメラの下に白いロール紙を設置し、その上に小石を配置してジャラジャラと動かしたり、マーカーで点や線を描き加え、ロール紙を引っ張りながらライブで録画していったのだが、僕は手元ではなくスタジオの壁にプロジェクターで投影された画面の方を常に見ながら行為した。画面を反転しコントラストを最大にすることで、白紙だった背景は闇となり、石はほぼ輪郭だけを残してただの白い光となる。光の粒に手で直に触れて配置・操作するような感覚の中で、記憶とは光跡なのだと思った。

記憶は新しく生まれたり、変形もする。僕は古いものを懐かしむのではなく、そこにある線をよく見て、辿ったり、なぞったり、引き伸ばしたり、時にはそこになかった点を加えてみたりすることで、時間と空間のレイヤーを行き来する新しい回路を発掘したいと思っている。

still from "Recollection of the Contours", single channel video, 16min 31sec(loop)


still from "Recollection of the Contours", single channel video, 16min 31sec(loop)


still from "Recollection of the Contours", single channel video, 16min 31sec(loop)




2018/06/18

写真展"STONES, LIGHTS, NORTH"に寄せて

SHUEN- 朱円周堤墓群 (斜里郡斜里町)
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日本の北で、「石」と「配置」と「輪郭」を巡る旅の記録。iPhoneと紙と銀色のマーカーを持って。

2018年5月31日に、北海道の東に位置する釧路空港のレンタカーで銀色の日産マーチを借りて、2000kmの距離を走り、6月9日に函館空港に辿り着くまで、9日間の旅をした。目的は、道内各地に点在する環状列石(ストーンサークル)を見て回ること。また同6月後半には、東北地方、青森と秋田の環状列石にも足を伸ばした。

石を環状に配置した古代遺跡と言えばイギリスのストーンヘンジなどが有名だが、日本にも、北海道と東北を中心に、主に縄文時代に作られたいくつかのストーンサークルが現存している。今回僕は、約10箇所のサークルを見て回る過程で、それらと関連する旧石器時代~縄文~続縄文~擦文~オホーツク文化~アイヌの遺跡、無数の貝塚、洞窟壁画、黒曜石の産地なども合わせて巡ることになった。だから、この旅は場所の移動だけではなく、様々な時代の記憶に触れる、時間移動の旅でもあった。日々、貝を食べては貝塚に貢献し、訪れる様々な場所に自分の目と足のチューニングを合わせ、歩き回り、屈んでみたり、穴に入ったり、iPhoneで写真を撮ったり、資料館で資料を集め、メモやドローイングをした。

僕は普段、マーカーやインクだけでなく、枯葉や、反射板や、アスファルトのかけらといった既にある世界の断片を見つけ、「配置」することで、線を描いている。いつも、線をゼロから生み出すのではなく、発掘したいと思っている。これは僕にとって、世界を把握しようとする行為であると同時に、今この瞬間の記憶を留める痕跡を生み出す行為でもある。そういう意味では、日々新しい遺跡を作ろうとしているのだとも言える。

古代に作られた環状列石はそれぞれに、祭祀や祈りの場、墓地、あるいは日時計としての機能など、様々な成立の理由があったとされる。しかしそれらは全て、石という世界の断片を円形に「配置」することによって、何らかの記憶を留めようとした人間の行為の痕跡であることは確かなのだ。
であれば、ストーンサークルを、巨大なレコードのようなものとして捉えてみることはできないだろうか。例えば自分の足が針となって、周囲をぐるぐる歩き回ることで、その場に刻まれた遠い時間の音楽を、内面のプレイヤーで再生してみる。これはもちろん、かなりの程度フィクショナルな行為である。しかしそうしてその場所のゴツゴツした感触を身体に取り込むことによって、場の記憶が自分の内面の記憶と結びつき、風景は新しい輪郭を持って目の前にクッキリと立ち上がる。それは同時に、自分自身の輪郭を新しく認識する瞬間でもある。場所を知ろうとすることは、つまり自己を知ろうとすることなのかもしれない。

個人的な話だけれど、僕は東北に生まれたが、2歳から関東に移って育った。20代から30代にかけては、世界中、ずいぶん旅をした。そして今回の旅は、ルーツとしての「北」を再発見する旅の始まりでもあった。自分を北に再配置してみることで、どんな音楽が再生され、世界はどのような新しい輪郭を持って立ち上がってくるのか。ここで展示するいくつかのiPhone写真はすべて、そういった配置と輪郭に関する瞬間的なメモであり、ドローイングの前のドローイングのようなものだ。そんなわけで、この旅はまだまだ続きそうである。

今回僕を北に導いてくれた5人の友人、木野哲也、国松希根太、Shuren the Fire、石川直樹、吉増剛造さんに感謝。


OTOE-  音江環状列石(深川市音江町)


SOGAHOKUEI-  曽我北栄環状列石(虻田郡ニセコ町) 


NISHIZAKIYAMA-  西崎山環状列石(余市郡余市町)




2017/12/30

2017年走り書きメモ

"Constellation #19" 1100 x 270cm / silver spray paint, silver ink, earth, acrylic, chinese ink on canvas / 2017 / installation view at Arts Maebashi (Gumma) photo by Kigure Shinya © Hiraku Suzuki



2017年を振り返れば、ここ十年の中で日本にいる時間が最も長い年だった。1歳から2歳になった娘の成長に、傍で目を見張りつつ、日々お絵かきセッション、絵本、ダンス、散歩やパズルセッションetcをしていたから、というのもある。しかし今年は、娘以外にも、今日本にいるからできた対談とセッションが特に多かった。ライブで一般公開した対話の相手だけでも、淺井裕介(アーティスト)、スガダイロー(音楽家)、ジェイソン・モラン(音楽家)、石川九楊(書家)、村田峰紀(アーティスト)、吉増剛造(詩人)、ハトリミホ(CIBO MATTO)、アブデルカデール・ベンチャマ(アーティスト)、今福龍太(文化人類学者)・・・彼らとドローイングを通して、文字通り手探りで辿っていった。ある境界線のようなもの。その境界線の地中に横たわる未翻訳の領域の鉱脈を発見できたことは大きな学びであった。同時にこの鉱脈があまりにも巨大で多岐にわたっていて、自分がいかに何も知らないかということも知ったが、もちろんそれは希望でもある。来年からも、また自分の手で触れる部分をひとつひとつ掘り出して、作品やプロジェクトの中で輪郭を与えつつ、少しずつ近づいていきたい。

2017年のメモ
1月
淺井裕介くんと対談@NADiff a/p/a/r/t。嬉しい初対面であった。
FIDインターナショナルドローイングコンテストでグランプリ受賞。
大分に10日間滞在。大分市中央通り線地下道における常設パブリックアート作品”点が線の夢を見る” を制作。地下道が極寒でハードな現場でボロボロになったが、温泉に入りながら、多くの人に支えられて、1/21に過去最大のパブリックアート作品が完成した。島田正道くんと記録映像を制作> https://vimeo.com/203550974
展覧会は永戸鉄也さんの個展がよかった。

2月
一人で雪山登山をして死にかけるも、氷の形から新作の着想を得る。
制作に明け暮れる。芸術祭「市原アートxミックス」のための、石とステンレスのふたつの彫刻作品制作で、千葉と行き来する。九十九里浜に宿泊するなど。
昨年山形で行なった吉増剛造さんとのセッションの記録本を作り始める。
展覧会はラスコー洞窟展@国立科学博物館がよかった。ライブはゆるふわギャング@アニエスベー銀座店がよかった。

3月
ポーラ・ミュージアムアネックス(銀座)にてグループ展「繊細と躍動」に出品。秋吉風人、中原一樹というベルリン時代で最も近所だった尊敬する友人のアーティストと一緒。
品川で海洋調査船TARA号に乗る。
大分市で講演。
国立科学博物館で筆石(graptolite)の存在を知り、衝撃を受ける。
千葉県市原市に毎週通って制作と展示の設営。永昌寺トンネルにてワークショップ。10人ほどでトンネルの壁面をフロッタージュする。石を彫って反射板を埋め込むなど。

4月
市原での展示「道路」がオープン。北川フラムさんの「立体が見たい」という言葉に応えるべく、チャレンジした展示であった。
山梨Gallery TRAXにて、グループ展「SIDE CORE -路・線・図」に出品。
熊本市現代美術館にて、グループ展「高橋コレクションの宇宙」に出品。
草月会館にて、スガダイロー、Jason Moran、田中泯のセッションを見る。田中泯さんが凄かった。
翌週、ロームシアター(京都)にてスガダイロー、Jason Moran、僕でセッション。ダイローさんとジェイソンがとにかく凄すぎて、楽しかった。遠藤水城くん、クリスが見に来てくれた。翌日、伊藤存さん、青木陵子さんと寺に行く。
カジワラトシオさんのレコード屋Hitozokuで空間現代のカセットテープを買う。
アーツ前橋で、また田中泯さんの踊りを見る。
娘がシュタイナー保育園に通い始める。家族で千葉を旅行。

5月
東京芸大大学院GA科にて2コマ授業。
島田正道くんと市原の記録映像を制作。
娘を初めて動物園に連れていく。映画「メッセージ」がよかった。

6月
彫刻作品「Warp」を市原湖畔美術館に移動、常設。
砂澤ビッキ展@神奈川県美葉山館がよかった。
吉増剛造さんイベント@NADiff a/p/a/r/t
ニース、アンティーブ、パリに旅行。アニエスのアパートに滞在。ギャラリードゥジュール、アブデルカデール・ベンチャマと打ち合わせ、アニエスのオフィスの壁画描き足し。ピカソとの思い出話など聞く。
ジュリアン・ランゲンドルフとセッション。

7月
ヴェネチア滞在
Palazzo Fortunyの「INTUITION」展がよかった。
7/5 小沢剛さんの依頼で、芸大でドローイングの授業。10年ぶりに取手に行く。
7/14 『Drawing Tube vol.01 Archive』鈴木ヒラク ドローイング・パフォーマンス ゲスト:吉増剛造を刊行。
石川九楊さんと、上野の森美術館にて「文字の起源」をテーマに対談。合計3回お会いする。後に左右社から出版される本には収録されなかったが、「銀」や「光と影の反転」についての話が興味深かった。個人的には、「かく」ことを路上で考え始めた頃から20年近く、石川九楊の書に刺激を受けてきたたけれど、まさか本人と対談することになるとは思ってもいなかった。33歳の年齢差がありながら、正面から向き合ってくれた石川九楊氏に感謝。非常に励みにもなった。
村田峰紀がアトリエに来る。
家族で三浦半島を旅行。

8月
娘の次に手足口病にかかり、二週間ほど苦しむ。
吉増剛造さんから詩が届く。自分の名前が入っている。そして光画、突中描画という言葉をいただく。
8/4 ギャラリーハシモト(東京)にて、村田峰紀とセッション。記録を撮ってくれた杉本くんがよかった。峰紀とは今年数えきれないほど会っている気がする。
家族で大分旅行。現地でアトリエを借りて、制作に励む。娘が2歳になる。
札幌を視察。吉増剛造展@北大が素晴らしかった。
また、市原湖畔美術館のラップミュージアム展がよかった。

9月
札幌国際芸術祭にて、吉増剛造さんと2回目のパフォーマンス。非常に難しかったが、実験として意義はあった。吉増さんから「一番深いところに届いたよ」と言葉をいただいた。同時に「孤独」ということもおっしゃっていた。石狩シーツという詩のタイトル、吉増さんの白いシャツ、その連想から布の繊維と描く行為の関係性について考えた。この問いは、後に今福龍太さんを召喚する。芸術祭は梅田哲也、毛利悠子、堀尾寛太、さわひらき、国松希根太、石川直樹、中崎透、同世代の作家それぞれの作品に心が動いた。余市町にある「フゴッペ洞窟」の洞窟画を見て帰る。
9/7よりアートラボはしもとにて、初のキャンバス作品(11m)を描き始める。自分のかく行為の中に、初めて「織る」とか「編む」という概念が入ってきた。神宮に撮影してもらう。
9/13 ブラジルからアンドレアが来る
9/15 ポーランドからプシャメクとダニエラが来る
9/25 NYから来たハトリミホさんと電話でずっと話していた。NEW OPTIMISMという概念について教えてもらう。その延長でDommuneに出演。宇川さんに10年ぶりに会う。
9/27 ハトリミホさんとKATA(恵比寿)でセッション。

10月
10/19 アーツ前橋にてグループ展「ヒツクリコ ガツクリコ ことばの生まれる場所」。11mのキャンバスをはじめ、平面、リフレクター、映像など久しぶりに大規模なインスタレーションを行う。
高崎のrin art associationにて特別展示。久しぶりにアスファルトのフロッタージュを作品にし、なぞる行為について考えた。
10/21 五島美術館副館長の名児耶明氏、アーツ前橋館長の住友文彦氏と前橋文学館で鼎談。
10/24 Abdelkader Benchammaが来日。空港まで迎えに行き、Tokyo Arts and Spaceまで送る。
10/27 アニエスべー銀座店で、「POINT TO LINE presents Abdbelkader Benchamma」カデールとコラボレーションによる壁画発表。クリスと3名でトーク。10人以上キュレーターが来る。NYからボニー・マランカも来ていた。
初めて娘をコンサートに連れていく。
展覧会は伊藤存さんの個展@ヤーギンズ、安藤忠雄「挑戦」@国立新美術館がよかった。

11月
カデールと国立科学博物館を視察。3週間とにかくカデールと話し、描き、酒を飲み、色んな人に会い、また話し、描き続ける。洞窟の中を二人で旅するような日々。
11/5 ボニーからエーテル・アドナンのテキストをもらう。
11/12 Drawing Tube vol.3 カデールとドローイングトーク@TOKAS
カデールがフランスに帰った翌日から家族で群馬旅行。原田さんにお世話になった。

12月
12/9 今福龍太さんとライブドローイングと対談@アーツ前橋 「舟」と「骨」について。キーワード:石、棒、道の終わり、風、珊瑚、島、多孔質、チューブ、ミメーシス(模倣)、井上有一、宮沢賢治、歌、ベンヤミン、内臓、星座、舞踏、洞窟壁画、舐める、粘膜、放射、収斂、葉、植物、飛沫、石川九楊、墨、影、反転、薄墨色、謎、中上健次、がらんどう、空、鳥、透き通る、透過性、重複、銀色、スピリット、インスピレーション、書く、掻く、欠く、描く、ローセキ、粘土板、加算的、減算的、積算的、構築的、建築的、積む、摘む、剪む、琥珀、松脂、虫。
ライブドローイングとトークを同じ日に行い、翌日から数日間は廃人のようになる。足利市立美術館での吉増剛造展を見て、足利に一泊する。
グループ展『アートのなぞなぞー高橋コレクション展』@静岡県立美術館に出品
ボスコ・ソディに会う。
昨年対談した西野壮平くんのアトリエ@西伊豆に滞在し、一緒に絵を描いたり地元のスナックに行く。
ライブはテニスコーツ@VACANTがよかった。映画はアレハンドロ・ホドロフスキーの「エンドレスポエトリー」がよかった。

2017/05/03

楕円について

点が線の夢を見る / Do Dots Dream of Lines from Hiraku Suzuki on Vimeo.

二つの隔たれた点が、その間に存在するかもしれない線を夢見ている時、周囲には楕円の空間が生まれる。自分の制作において、楕円は「巡回」と「放射」が組み合わされた形。目の形とも、銀河の形とも呼べる。それは時空間の把握におけるひとつの原型である。

When the two distant dots dream of a possible line in between, an oval space occurs around them. Oval is a combination of “round space and radiant space“ (A.Leroi-Gourhan, 1964-1965), and it can be called the form of eyes and galaxy. It is a model for perception of time and space.

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「まわりの世界を知覚するのは、二つの方法でなされる。一つは動的で、空間を意識しながら踏破することであり、もう一つは静的で、未知の限界まで薄れながら拡がっていく輪を、自分は動かずに、まわりに次々と描くことである。一方は、巡回する道筋にそって世界像をあたえてくれる。もう一方は、二つの対立する表面、地平線で一つになる空と地表のなかで像を統合する。」
(A・ルロワ=グーラン『身ぶりと言葉』 荒木亨訳、新潮社)
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大分市道中央通りの両端をつなぐ、全長約30mの地下道。4つの入り口から階段を降りると、全面シルバーの壁や天井に、巨大な黒の楕円が配置された、洞窟のような空間が広がります。そこには、路上の交通標識などにも用いられるリフレクター(反射板)や、シルバーのインクによって描かれた、星座のような無数の未知なる記号たちが、光を反射しています。
この作品は、地上の場所に帰属するのではなく、隔たれた地上の点と点をつなぐ地中のチューブです。この中を人々が行き来することによって、星と星が交信するように、こちら側と向こう側/闇と光/過去と未来といった対極がつながれ、時空間に新たな線が生成されます。

An subterranean passage with a length of approximately 30m that connects two sides of a municipal road. Once you enter through any of the 4 entrances and descend down the stairs, you will find a large cavern like space entirely in silver with massive black ovals along the walls and ceiling. On these ovals, you will find numerous unknown constellation like signs that reflect the light, drawn with silver ink as well as reflectors that are generally used on items such as traffic signs.
As commuters pass through this tube, they are connected by two extremes like intercommunication of two stars that indicate the here and there/darkness and light/past and present, thus generating a new line within their routinely frequented time and space.


photo by Takashi Kubo ©2017 Hiraku Suzuki
photo by Takashi Kubo ©2017 Hiraku Suzuki
photo by Takashi Kubo ©2017 Hiraku Suzuki
photo by Takashi Kubo ©2017 Hiraku Suzuki
photo by Takashi Kubo ©2017 Hiraku Suzuki
photo by Takashi Kubo ©2017 Hiraku Suzuki

2016/08/03

Drawing Tube

© Hiraku Suzuki

(English follows)

新しいプロジェクト「Drawing Tube」を始めます。

Drawing Tube(ドローイングチューブ)とは、ドローイングの新たな研究・対話・実践のための実験室であり、それらを記録して共有するために構想したプラットフォームです。

ここで言うドローイングとは、平面上に描かれた線のみではなく、宇宙におけるあらゆる線的な事象を対象とし、空間や時間に新しい線を生成していく、あるいは潜在している線を発見していく過程そのものを指します。
例えば、ダンスは空間への、音楽は時間への、写真は光の、テキストは言語のドローイングとして捉えることもできます。さらに地図上の道路や、夜空における星座、人間の腸なども含めてみると、私たちは世界の様々な領域に「ドローイング」を見出せるでしょう。

Drawing Tubeは、この「ドローイング」というキーワードを介して、様々な分野を巻き込んだイベント、レクチャー、展示などを不定期で行い、各分野間に管(チューブ)を開通させることを志向します。またそのアーカイヴを開示することで、「描くこととはなにか?」という根源的な問いに対する議論を喚起し、変容し続ける現在進行形のドローイングの可能性について考えていきます。

紙を丸めて運ぶための筒のことも、ドローイングチューブと呼びます。Drawing Tubeの活動は、特定の場所と結びつくのでなく、何かと何かをつなぐ管(チューブ)としてその都度かたち作られ、移動していくものです。管状の線が空中に浮かんでいるような、1匹のミミズが澄んだ池の水面を泳いでいるようなイメージです。

まずはこうした穴がボコボコ空いた状態で始めて、色々な意見を取り入れながら、少しずつ展開していく予定です。よろしくお願いします。

2016年8月3日 鈴木ヒラク

http://drawingtube.org/
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Drawing Tube is a new laboratory for alternative drawing research, discourse, and practices that focuses on archiving and sharing the results.

By the word “drawing” we mean something not limited to making lines on planar surfaces, but rather the process of generating new lines or discovering invisible lines, in space and time, with all possible universal linear phenomenon as subject.

Dance might be considered making lines in space. Music might be considered making lines in time and pitch. Photography might be considered making lines with light. Text might be considered making lines in language. Whether roads on maps, constellations in the night sky, the complexity of our anatomy, our world is often first apprehended through acts of making lines.

Drawing Tube will conduct an irregular series of events, lectures, and exhibitions, with the aim of making lines, and opening connecting “tubes”, between disciplines. Additionally, through presentations of the evolving archival record, we will work to elevate the fundamental discourse about the definition of drawing, within a perpetually changing exploration of the present and future tense of relational aesthetics.

The cylindrical plastic vessels we use to carry our works on paper are also called “drawing tubes”. And in this spirit, Drawing Tube will be a moveable laboratory, unbound to any one venue, but rather a portal tube of connection potential, each time assuming different shapes, forms, and locations. Drawing Tube will be like wormholes in time and space, a transparent worm traveling the surface of a clear pond.

First we will begin by exploring the many portals in the opinions, and sensibilities of those around us. We hope to deserve your attention.

August 3, 2016, Hiraku Suzuki

http://drawingtube.org/
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© Hiraku Suzuki

2015/07/14

かなたの記号 / Signs of Faraway

"歩く言語 / Walking Language" 55x6m / silver spray paint and silver ink / 2015 / mural at Hiraku Suzuki solo exhibition “Signs of Faraway” at ACAC (Aomori, Japan) photo by Kuniya Oyamada © Hiraku Suzuki

ドローイングは、絵とことばの間にある。かつて、“描く”と”書く”は未分化であった。古代人は、いわゆる言語を使い始めるずっと前に、そこら辺に転がっている石や、洞窟の壁や、マンモスの牙に、天体のリズムを刻んだ。人間はそうして記号を発明し、文字や言語を生み出すことによって、常に未知なるものとして目の前に立ち現れてくる世界の中に自らを位置づけ、世界を研究し、世界と関わり合いながら生き延びてきた。いまここを生きる私たちは、既存の言語の概念だけで、この世界の新しい時間と空間の広がりの中で起こっていることを充分に理解し、未来を指し示すことはできるだろうか。

僕の方法論は、この現在進行形の世界に対応した、もうひとつ別の考古学としてドローイングをとらえてみることだ。まず既に遍在している亀裂から世界に入り込み、世界を点と線に解体することからはじまる。

例えば路上にゆらぐ木漏れ日の形や、アスファルトの白線の欠片や、葉脈のカーブ、読めない数式、グラフィティ、肌に浮いた血管、ビルの輪郭、中国の棚田の地形、地下道での靴音の響き方、獣道、レコードの溝、熱帯植物の枝振り、車のヘッドライトの残像、SF映画のシーンに一瞬映る看板に描かれた架空の会社のロゴマーク、飛んでいる蚊が空間に描く軌跡。
そこにある点と線をよく見る。反対側からも見る。そしてなぞる。身体を使う。再配置する。何か現象を起こす。繰り返す。

こうして、解体された世界の欠片をつないで、新たな線を生む。この線は、”いまここ”と”いつかどこか”を接続する回路となる。その回路を行ったり来たりするのは、絵でもことばでもない、ただの記号である。このただの記号を、変化し続ける現在において発掘すること。僕の仕事は、離ればなれになってしまった”描く”と”書く”のあいだの闇、そのかなたに明滅する光の記号を見いだし、獲得し続けることである。
鈴木ヒラク

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Drawing exists between pictures and language. In fact, drawing and writing were once one and the same. Long before we began using what we now know as language, the ancients etched the rhythms of the stars into mammoth tusks, onto cave waves, and across the face of ordinary stones. This is how humans invented signs. Letters and language were developed by humans to orient themselves within a world where the unknown is constantly present. And we have managed to survive as a species by using language to better study and relate to our world. But is anyone living today capable of fully grasping new occurrences within our world’s ever-growing expanse of time and space and pointing to the future with only our existing concept of language?

My methodology interprets drawing as an alternative archaeology that corresponds to our world in the present progressive. I begin by first slipping into the world through the ubiquitous cracks that already exist and deconstructing them into dots and lines.

Take, for example, the wavering shapes of the sunlight as it filters through the trees onto the ground, the chipped white lines in the asphalt, or the curving veins of a leaf. An indecipherable mathematical formula, graffiti, veins bulging through the skin, the outlines of buildings, the topography of a rice terrace in China, the sound of footsteps echoing in an underpass, and an animal’s trail. The grooves on a record, the branches of a tropical plant, an afterimage induced by car headlights, the fictional company logo seen for a fleeting moment on a billboard in the scene of a science-fiction movie, the path of a mosquito flying through space.
I look at the dots and lines within them. I look at them from forward and behind. I trace them. Use my body. Recompose them. Produce an effect. Repeat.

In this way, I connect fragments of the deconstructed world and generate new lines, which become the circuit that connects the here and now with the somewhere, some time. Neither pictures nor words can be transmitted in this circuit. Only signs can. I excavate the signs in the ever-changing present moment. My practice is to discover and acquire flickering signs of light in the faraway, in the dark and widening gap between drawing and writing.
Hiraku Suzuki

"歩く言語 / Walking Language" installation view “Signs of Faraway” at ACAC (Aomori, Japan) photo by Kuniya Oyamada © Hiraku Suzuki
"歩く言語 / Walking Language" installation view “Signs of Faraway” at ACAC (Aomori, Japan) photo by Kuniya Oyamada © Hiraku Suzuki
"GENGA #001 - #1000 (video)" "鍵穴 / Keyhole" installation view “Signs of Faraway” at ACAC (Aomori, Japan) photo by Kuniya Oyamada © Hiraku Suzuki
"GENGA #001 - #1000 (video)" installation view “Signs of Faraway” at ACAC (Aomori, Japan) photo by Kuniya Oyamada © Hiraku Suzuki
"GENZO #2" installation view “Signs of Faraway” at ACAC (Aomori, Japan) photo by Kuniya Oyamada © Hiraku Suzuki
"casting" installation view “Signs of Faraway” at ACAC (Aomori, Japan) photo by Kuniya Oyamada © Hiraku Suzuki
"casting" installation view “Signs of Faraway” at ACAC (Aomori, Japan) photo by Kuniya Oyamada © Hiraku Suzuki
"GENZO (photo)" installation view “Signs of Faraway” at ACAC (Aomori, Japan) photo by Kuniya Oyamada © Hiraku Suzuki
"circuit #7" installation view “Signs of Faraway” at ACAC (Aomori, Japan) photo by Kuniya Oyamada © Hiraku Suzuki
"circuit #6" installation view “Signs of Faraway” at ACAC (Aomori, Japan) photo by Kuniya Oyamada © Hiraku Suzuki
"歩く言語 / Walking Language" installation view “Signs of Faraway” at ACAC (Aomori, Japan) photo by Kuniya Oyamada © Hiraku Suzuki